【中札内】「カムエク」の通称で親しまれる日高山脈第二の高峰カムイエクウチカウシ山(1979メートル)。ここで福岡大学ワンダーフォーゲル同好会(当時)がクマに襲撃され、3人の死者が出た事件から今年で50年がたった。整備された登山道はなく、昨年夏もクマによる人身事故が2件相次いだ“危険な”山は、一体どんな場所なのか。十勝毎日新聞社の登山パーティー(3人)は16、17日に1泊2日で頂上を目指した。 (文・高田晃太郎、写真・塩原真、2020年8月22日付十勝毎日新聞)
「クマは必ずいると思った方がいい」。花々が咲く「八ノ沢カール」(1550メートル)。日高山脈で過去に何度かクマを目撃し、カムエクに5回登っている塩原カメラマンがそう注意を促した。新しいふんも目に入り、クマのすみかに入り込んだことを感じさせる。
50年前、同好会の学生3人の遺体はここで火葬され、岩場に追悼プレートが残されている。学生たちはクマに遭遇した際、あさられた荷物を取り返したため執拗(しつよう)な追跡を受けた。昨年夏の人身事故は、いずれも単独登山でクマとの鉢合わせが原因と考えられているが、道や中札内村などは登山自粛を要請し、今年も注意喚起を行っている。「積極的に声を上げ、クマに人の存在を気付いてもらおう」とカメラマン。
「登るなら複数で」。クマ鈴やホイッスルより、複数でしゃべりながら登った方が、クマよけに効果があると専門家から聞いていた。北海道百名山の踏破を目指し、札幌市から仲間3人と登山中の団体職員の女性(49)は、昨年はカムエク訪問を自粛したため、2年越しの挑戦という。「問題のクマは積極的に人を襲ったわけではない。4人で来ているし、人の存在を知らせれば大丈夫だと思う」
カールから山頂は往復3時間。麓は快晴なのに、ここは雨で、山頂はガスに包まれている。「引き返そうか」。これ以上雨が続くと下りられなくなる恐れがあるため、そんな考えが頭をよぎった。実は私は登山初心者だ。昨年の事故から何度もカムエクの記事を書いていながら一度も登ったことがない。どんな山なのか知りたい。安全確保を最優先に取材を決行した経緯がある。
ところが、私たちの前後を登っていた三つのパーティー計8人の足は尾根へ向かう。「見晴らしは望めないのに…」と、戸惑いながら後を追う。前のパーティーは何度もホイッスルを鳴らしてクマを警戒。だが、強まってきた雨がその音を打ち消す。さらに腰の高さまであるハイマツが視界を狭め、いつクマと鉢合わせても不思議ではない。
「クマよけのためにも、しゃべった方がいい」と頭では思うが、シャワーのような雨に体力が奪われ、会話はほとんどない。山頂は予想通りガスで真っ白。感傷に浸る間もなく、全員すぐに下山を開始した。
落差100メートル以上、垂直に切れ落ちた滝を見下ろす。足一つ置くのがやっとのぬれた岩場を、時にはロープを頼りながら、恐る恐る滝を巻いて下る。足を滑らせれば、軽傷では済まない。昨年は2人が滑落で亡くなっている。
急流の沢の中を繰り返し歩いて八ノ沢出合(680メートル)まで下りた頃には、これまでの悪天候がうそだったかのように、晴れ間が広がった。前日ここでテントを張り、今朝、妻と山頂を目指す予定だった後藤隆史さん(52)=北広島市=はもう1泊して様子を見るという。「ホイッスルとクマよけスプレーは持参し、クマの生態も調べている。登るなら総合力が必要な、手ごわい山の方がいい」
今回4回目の単独登頂を果たした水野淑功(やすのり)さん(58)=札幌市=は「やっぱりつらい。けど、また登りたくなるんだ」。私も“正解”のない道を己の判断で進み、滑落の恐怖やクマとの遭遇に緊張感を持ちながら山頂を目指す行為には、自然の中に深く入り込んでいるという手応えを感じた。ただ正直に言えば、天候に恵まれても、もう一度登ろうとは思わない。クマよりも、私には滑落の方がずっと身近で怖かった。手つかずの大自然のただ中にあるカムエクは、はるか遠くの山だ。
<福岡大学ワンダーフォーゲル同好会ヒグマ事件> 1970年7月下旬、日高山脈の芽室岳からペテガリ岳を縦走中の学生5人が、カムイエクウチカウシ山の八ノ沢カールで若い雌グマに襲われ、3人が死亡した。地元ハンターらが、この付近でクマを発見し射殺。クマは剥製にされ、中札内村の日高山脈山岳センターで展示されている。