北海道の山を切り撮る

不摂生から復活 80代でエベレスト登頂した三浦雄一郎さんの講演

 上士幌町で2019年7月に行われた「かみしほろ塾2019」で三浦雄一郎さんが「86歳で南アメリカ大陸最高峰への挑戦」と題し講演を行いました。

 三浦さんは30年前に上士幌に来町したことがあるそうです。 簡単に要旨をご紹介します。機会があれば、ぜひ直接講演を!

講演要旨

 80歳でエベレストを登頂した。7つのエベレスト、マッキンリー、アコンカグア、キリマンジャロ・・・、地球上のすべての大陸の最高峰を滑走した。

 札幌に住んでいて、飲んだり食べたりが好き。60歳で引退生活。ハイキング、ゴルフをしていたが、年と共に体重が増えてきていた。

 狭心症の発作を起こすようになったが、病院に行きたくなかった。家内が膝を痛めて、付き添いで一緒に病院に行った。その際に検査を受けるはめになった。3週間ちょっとしたら、院長先生から呼び出された。血圧は190。不整脈も出ている。ひどい状態だった。

 この時期、植村直巳さんなど著名な人が次から次へと命を落とした。そして父、三浦敬三は99歳でモンブランをスキーで滑った。父はその前にはスキートレーニングで3回も骨折した。 

 飲み過ぎ食べ過ぎ、運動不足だった。運動をして習慣生活病を治して、エベレストに登ろうと思った。65歳寸前で札幌の茂岩山に登ったが、登れなかった。500メートルの山でも登れなかった。2年間で富士山に登り、ヒマラヤへ。5年計画でやろうと思った。自分は楽観主義で、「なんとかやってみよう」と思っている。飲み放題、食べ放題は少しだけ抑えた。健康を維持する「守りの健康法」があるなら「攻める健康法」をやってみようと思った。足首におもりを付けて、背中には10キロ。70歳で片足10キロ、背中には30キロ付けて歩いた。そのうちにメタボが急速に治った。自分の場合、半月板損傷で歩くのでも痛かった。しかし、重しを付けて歩いたら治った。「ヘビーウォーキング」のおかげ。みなさんも足首に片側1キロやってみてほしい。

 75歳でエベレストに登った。その後スキーシーズンには、スキーを楽しんだ。腰の骨が5箇所折れた。先生からは「手のつけようのない」と言われた。車椅子生活かもしれないと思った。家族は「これでエベレストもスキーも無理」。車椅子だが命だけは失うことはないとほっとしていた。でも80歳でエベレストに登ろうと思っていた。

 病院のご飯はおいしくない。家内に頼んで、鮭を食べた。頭から尻尾の先まで食べた。これが主食だった。2か月半で折れていた骨がつき始めた。中学生か高校生の骨の付き方と言われた。

 1年経って、足に1キロ付けてトレーニングを開始した。80歳でエベレストに登る半年前には、酸素を少なくしたトレーニングをした。日本では富士山を何回も登った。ヒマラヤは6000メートルの場所を登った。虫歯と高山病で寝られず、死ぬかと思った。その後、6度目心臓手術を行った。3月にエベレスト出発、その2か月前の1月の心臓だった。1年挑戦を延ばすこと勧められたが、何とか登った。あのとき登れなかったら、その後ネパール地震で3年も登れなくなった。

 「年寄り半日仕事」を山にも当てはめた。朝出て2時間から2時間半登り、ゆっくり昼ご飯食べる。そして昼寝をする。景色の良いヒマラヤでぶらぶらする。そして夕食。これを16日間やった。これで70歳、75歳より80歳のほうが、調子が良かった。このペースで8500メートルまで登れた。普通は登山食だが、出来るだけおいしいものを食べようとした。味噌、キムチ30キロ、韃靼そば粉20キロを用意した。肉も行商のような人が来るのでステーキをやった。そして8500メートルで手巻き寿司をした。おいしいものを食べると元気が出る。「おかわりおかわり」で予定の3倍食べた。お茶会もやった。抹茶は福寿園「伊右衛門」。山で飲むお茶は、けやきに漆を塗った器で飲んだ。4人で膝を付け合わせてお茶会をした。気持ちが落ち着き、嬉しくなった。普通はマイナス40度、登頂の気持ちが高ぶるが、ぐっすり眠れた。このまま登ったら宇宙にたどり着くのではないだろうと感じるぐらい登った。それから1週間、80歳7か月で登頂した。下りはなんとかベースキャンプにたどり着いた。

 エベレストに登ろうと思ったから、トレーニングしたし、手術もした。諦めないでやろうと思った。「気持ち」のおかげで病気もけがも治った。

 それから6年経った。8201メートル、中国のヒマラヤに登ろうと思ったが、75歳以上は登れないと断られた。アコンカグアは33年前に登ってスキーで下りたことがあった。6000メートルまで登ったところ(プラサ・コレラ)で、強風が吹き2日間停滞。ドクターストップでしぶしぶ山を下りた。90歳でエベレストを登ろうと思って、その為もあって今回は下りた。

 今のエベレストは、ヒラリーステップ、頂上直下の渋滞がひどい。3回登っているので他の人に譲って90歳では辞める。90歳はキリマンジャロに登ることに変更した。年を取ると「もういいだろう」諦めてしまう。目標を持って山を登ることはアンチエイジングにもなる。


< 三浦雄一郎 >

  • プロスキーヤー
  • クラーク記念国際高等学校校長
  • (株)ミウラ・ドルフィンズ 代表取締役
  • (株)三浦雄一郎事務所 代表取締役
  • (社)全国森林レクリエーション協会会長
  • NPO法人グローバル・スポーツアライアンス理事長