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新聞記者から再び旅人に ロバと共に巡るイラン 続・旅の窓から(1)

高田 晃太郎

旅人

 目的地もなく、見知らぬ土地をただ彷徨(さまよ)いたい。そんな漂泊の思いが芽生えたのは、いつからだろう。私は今、中東のイランをロバと共に歩いている。昨年末、十勝毎日新聞社を退社し、今年2月25日に日本を発った。ロバに荷物をのせ、行けるところまで歩いてみようと思っている。

 なぜそんな旅をするのか。コロナ禍に加え、世界で大きな紛争が起きている今、これまで何度も自分に問いかけてきた。しかし、「なぜそんなことをするのか」という問いは、「なぜ生きているのか」と聞かれているのと同義で、私はうまく答えられない。「片雲の風に誘われて漂泊の思い止まず」。45歳の時、「奥の細道」につながる大旅行をした松尾芭蕉は、旅に出る理由をそう詠んだ。そう、私もまた、異国の青い空を思い浮かべ、そこへ飛んで行きたくなったのだ。

 とはいえ、私の気分は重かった。旅立つ前というのは、いつも憂鬱な気分になるものだが、もしコロナに感染して重症になったら、強盗に襲われたら…などという不安が、直前になって、現実感を伴って胸に押し寄せてきたからだ(3年前にモロッコをロバと旅した時は実際に強盗に襲われており、野宿するのがトラウマになった)。「やっぱり、やめておこうか」と、何度思いが揺れたか分からない。

 しかし、旅に出るために会社まで辞めたのだ。いまさら行かない選択肢はない。いよいよ出国当日になり、私は渋々、リュックを背負って家を出た。実家の京都から東京、そして成田国際空港へ。ドバイ行きのエミレーツ航空の機内は、がらがらだった。私の席から見える範囲だけでも搭乗率は2割ほど。3列か4列シートにそれぞれ1人が座っているので、足を伸ばしてみんな思い思いに過ごしている。私も含め、消灯時は座席三つ分を使って横になって寝ている人もいる。こんなにのびのびと機内で過ごせたのは、6年前にハバナ(キューバ)からブエノスアイレス(アルゼンチン)に行くクバーナ航空機に乗った時以来だ。

 成田を発ってから約12時間のフライト後、ドバイ国際空港(アラブ首長国連邦)で6時間のトランジット(乗り継ぎ)を過ごした私は、いよいよイランの古都シラーズに向かう。

 イスラム法に基づき、秋霜烈日のルールが徹底されるイラン。本によると、公共の場所では男女分離が固く守られ、小学校から高校までは男女別学。バスや列車では性別によって乗車スペースが区切られているらしい。シラーズに向かう乗客はほとんどがイラン人で、チャドル(体全体を覆う黒い布)をまとった女性も多く、独特の雰囲気を感じさせる。搭乗率は8割ほどだった。

ザグロス山脈の麓に位置するシラーズの街中


 飛行機が着陸体勢に入ったころ、窓から、頂上に雪をたたえ壁のようにそびえる山並みが見えた。イラン、イラク、トルコにまたがり、4000メートル級の山々が1500キロも連なる「ザグロス山脈」だ。麓には大平野が広がり、私にはその風景が日高山脈と十勝平野のように感じた。十勝にいたころ、私は釣り竿を持って日高山脈の奥深くによく足を踏み入れたが、今度はこのザグロス山脈の中をロバと共に歩くことになる。もちろんリュックの中には釣り竿を忍ばせている。

 シラーズに降り立った私は、予約していた安宿がある中心街に向かうべく空港の地下鉄駅に入った。しかし、空港の両替所が閉まっていたため、現地通貨をまだ手に入れていない。さて、どうしよう。チケット売り場の前に立つと、そんなことを考える間もなく、駅員の男性が、まるで王侯を迎えるかのような丁寧さで、改札ゲートを開けてくれた。(あとで知ったところによると、地下鉄はひと乗り6円だった)

 イランというと、日本では核問題や経済制裁などの負のイメージが強いかもしれない。ところが、この国を旅した旅行者は皆、「ホスピタリティがすごい」と口をそろえる。イランではNHK連続テレビ小説の「おしん」の視聴率が90パーセントを超えるなど親日国としても知られている。私はこの後、いろいろな場所でイラン人から温かいもてなしを受けることになるが、その最初の親切が、地下鉄の駅員からのものだった。

 気がつくと、旅立つ前の憂鬱さはほとんど吹き飛んでいた。これからどんな人と出会い、どんな景色に出合うのだろう。私は新聞記者から、再び旅人となって異国の地に戻ってきたのだ。

(本旅行記は元十勝毎日新聞記者の高田さんが執筆します。イランから随時、旅の様子をレポートします)

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