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浦幌に世界の先住民集まる 権利回復への戦い・自然との生き方共有

高田 英俊

十勝毎日新聞社 編集局 整理グループ

 浦幌町に初めて世界の先住民のリーダーらが集まった。古来の漁をする権利を含む先住権獲得への道のりや自然の資源を収奪しない生き方を国際シンポジウムで語り合い、共有した。主催したアイヌ民族団体「ラポロアイヌネイション」(旧浦幌アイヌ協会)はサケを取る権利を巡る初の先住権訴訟を争う渦中にあり、「世界の人たちがいまだに戦っている姿に感動した」(差間正樹会長)と勇気を分かち合えた。

 フィンランドやカナダ、米国、台湾、豪州の5カ国・地域から先住民や権利擁護を支える法律家ら8人が国際シンポジウム「先住権としての川でサケを獲る権利」(5月26~28日)に出席、国内外からの聴衆延べ約400人以上が会場(浦幌町コスミックホール)を埋めた。

 日本は2008年、国会でアイヌを先住民族と認める決議を採択、19年施行のアイヌ施策推進法でアイヌが「先住民族」と法に初めて明記したが、狩猟採集や漁労ができる権利を含めた先住権は認めていない。ラポロアイヌネイションは20年夏、アイヌの先住権としてサケの捕獲権の回復を認めるよう国と北海道を提訴した。

ラポロアイヌネイションの差間正樹会長(右)


 差間会長によると、裁判ではアイヌが明治時代以前から森、海、川でシカやサケを自由に取っていた事実を被告が認知せず、論争の節目で判事が交代した。「水掛け論を繰り返している。海外の先住民の状況はどうなのか」と1年ほど前にイベントを構想、準備を進めていた。

 シンポジウムは北海道大学先住民・文化的多様性研究グローバルステーションと北大開示文書研究会が共催、海外の先住民を招待する役割を担った。開催費用は、クラウドファンディングで目標額の350万円を上回る寄付金を集めた。自然と共に暮らす先住民によるイベントに、環境保護意識の高い米アウトドア用品大手パタゴニアも支援した。

 ラポロアイヌネイションは17年、北大開示文書研究会に支えられ、アイヌの先祖の遺骨が研究目的で持ち去られたことに対し、訴訟を通じて北大や東京大などから遺骨の返還を実現させている。さらに「先祖の暮らし方をこれからも守りたい」(差間会長)と先住権の回復に踏み込んでいる。

ラポロアイヌネイションの先祖の遺骨返還に関連する写真や報道記事のパネル展示(浦幌コスミックホールのロビー)


■先住民の権利 豪州除き憲法に明記
 世界の先住民の権利が各国・地域の憲法に明記されているかはさまざまだが、シンポ出席者らの国・地域では、豪州を除いていずれも憲法で権利が保障されている。

 カナダ西部の太平洋岸にあるハイダ島のハイダ・ネーションの世襲チーフ、ラス・ジョーンズさんは1982年の憲法改正や多くの判決によって先住民の権利が大きく前進してきたと説明。同島は09年、植民地時代に名付けられたクイーンシャーロット島から「ハイダ・グワイ」(グワイは島の意)に変更された。

カナダ西部の太平洋岸にあるハイダ島のハイダ・ネーションの世襲チーフ、ラス・ジョーンズさんは、ハイダの 暮らしから説明


 米国オクラホマ州に住むチョクトー族で、元米国考古学会長のジョー・ワトキンスさんは、国内の先住民(574族、うち4割はアラスカ州)はそれぞれが国との間に条約を締結して自治権を持つとし、チョクトー族は立法・行政・司法の機能を持つ国内の国家であることを紹介した。

米国の先住民がいる州とその人口比(ジョー・ワトキンスさんの講演資料より)


 台湾は蒋介石、蒋経国と続いた国民党政権下で38年続いた戒厳令が1987年に解除され、その後の社会民主運動を契機に原住民族(現地では「先住民」はすでに滅んだ民族の意になるため、昔から住んでいた意となる原住民と呼ぶ)の権利回復の動きも台頭した。

 台湾本島の東、太平洋に浮かぶ蘭嶼島から来たタオ族のマラオスさんによると、多くの原住民族が村落を越えて会議を重ねて権利を主張、2000年の憲法改正で原住民族の地位などが保障された。05年に原住民族基本法が成立し、16年には蔡英文総統が原住民族に公式に謝罪した。現在、公式認定されているのは16民族。

台湾本島の東、太平洋に浮かぶ蘭嶼島から来たタオ族のマラオスさんは、伝統漁法のやり方をパフォーマンスした


 フィンランドやスウェーデン、ノルウェー、ロシアにまたがって住み、主にサケ漁を生業としてきた先住民のサーミは、フィンランドが憲法で先住民と認定している。ただサーミ評議会議長のアスラック・ホルンバルグさんは「言語や文化に特化して書かれている」とまだ権利回復は道半ばと言う。米国のような国との条約や自治権はないが、議会が設置可能で、4年に1度、選挙を実施している。

 新たなサケ漁規制が課された際には、サーミの5人があえてサーミの文化遺産とも言える漁法でサケを取り、自ら動画や写真を撮影して警察に自首、憲法上で文化が保護されることを盾に、最高裁判所で規制の方がサーミの伝統的漁業の追求に有害との判断を勝ち取ったという。

主にサケ漁を生業としてきた北欧先住民サーミの評議会議長、アスラック・ホルンバルグさんが話す


 豪州は1960年代、国民投票を通じてアボリジナルの人々(先住民)の市民権や公民権を認めたが、先住民の現実の暮らしでは権利を巡って浮上する問題が長く絶えない。1992年の判決で土地権は認められたが、憲法は先住民の権利にいまだ触れていない。

 東南部、ニューサウスウェールズ州の南海岸沿いに暮らす先住民ワルブンジャのダニー・チャップマンさんと弁護士キャサリン・リッジさんによると、先住民の漁労権の原則や管理法は90年代から2000年代に制定され、先住民からの反発を受けながら法改正されてきた経緯がある。22年後半にも漁業管理法を巡って同州議会と協力して法改正を実現、文化目的や先住権のための漁であれば、法令には触れないことを認めさせた。

■暮らしから分かる地球の悲鳴
 シンポジウムで世界の先住民たちの暮らし方が紹介されると、いかに自然と共に生きているかが浮き彫りになった。漁を営む先住民はいずれも、取る魚介類は必要に応じた量に限り、それらの種類も回遊魚の捕獲や潜水による漁、浜辺での貝類の収集など季節に応じて変わる。

 豪州のチャップマンさんは数十万年前の貝塚など考古学的証拠から、カトゥンガルがずっと漁労で生きてきたとし、「月の満ち欠けや星の位置、流れで魚がどこにいるかが分かる」と先祖からの伝承を受け継いで持続可能な暮らしを続けている。

 カナダのハイダは「海から来た民」との口承が伝わっており、現在、自らが収集したデータに基づいて政府と協力して漁業の管理計画を作る。子持ち昆布の激減に直面して、この20年ほどは取るのをやめているという。マテ貝もハイダの調べで資源枯渇に直面していると分かり、20年から商業的には禁漁となった。ハイダの自給と儀式のための漁だけは続けられている。

 台湾のアミ族のアモス・リンさんは、川でアユの一種を取るが、河川に外来種が入り、このアユの一種を守る政府の動きに協力しているという。

台湾・蘭嶼島のタオ族のマラオスさんは先祖らが続けてきた暮らしや思想を語った


 自然と共生しているからこそ、地球環境の変化にも気付く。

 サケ漁師でもあるホルンバルグさんたちサーミは、フィンランドとノルウェーの国境を流れるデットヌ川流域に住む。30種以上のアトランティックサーモンが生息する豊かな地であり、「サケがいるからここに住み、サケがいつも生活の中心にあった」。北方の土地や気候は穀物生産に不向きだった。

 だが、同川に変化は見られないにも関わらず、近年は遡上(そじょう)してくるサケが減っており、海洋に変化が起きているのだろうと推察する。サケの激減でフィンランドは21年から歴史的な禁漁を実施しており、「この数年間の変化は未知の世界。食べ物とどう関わり、つながれるのか、これから知っていくだろう」と危機感をあらわにした。

■「法はアイヌの漁業権無視」 ラポロ悩み
 北大アイヌ・先住民研究センター長の加藤博文教授は「先住民が対話する際は、車座になって対等な関係を前提に話すのが特徴」といい、出席者らはホールの舞台上で半円状に着席。ラポロアイヌネイションのメンバーの一人は「法がアイヌの漁業権を無視していることをどう考えるか」と海外からの先住民たちに問いかけた。

浦幌コスミックホールのロビーに展示されたアイヌがサケを取るための丸木舟


 台湾の中央山間部で暮らしてきたセデック族で、法学者・活動家のアウェイ・モナさん(東華大学法学部准教授)は、「ここに来た世界の先住民の共通認識は、『我々の権利は元々存在したもの。国家ができる前からやっていたこと。後から来た人たちはそれらを守るべき』だと再認識できた」とし、先住民の漁をする権利は一般の漁業権とは別に考えるべきと応じた

 権利回復の一つの手段として、「目指す所が一致する人権団体のほか、自然資源や環境保護なら環境保護団体と組んで、問題意識の輪を広げ、連帯すること」と助言した。

 米国のチョクトー族のアトキンスさんは、研究に励む力の源が「世界中にある先住民の権利回復の好例やロールモデルを示すこと、さらに先住民の苦難の歴史といった背景を非先住民に知ってもらうこと」と語った。

米国オクラホマ州に住むチョクトー族で、元米国考古学会長のジョー・ワトキンスさんは研究のモチベーションについて語った。右に豪州のダニー・チャップマンさん


 日本でアイヌの個々人の権利が守られても、「集団的権利を要求するべき」と述べ、明治時代以来、アイヌの諸団体と交わされたさまざまな信書など関係をあらためて検討することを提言した。日本は各地の裁判所の法解釈や判決が異なることもあるため、「さまざまな判決が道内の各地で適用されるのが望ましい」と指摘した。

浦幌コスミックホールのロビーで談笑する国際シンポ参加者ら


 サーミのホルンバルグさんが初めて海外での先住民フォーラムに参加したのは17年前、台湾の東部、花蓮県だったと言う。来日は3回目だった。「ネットワークができ、次の参加ではさらに大きくなる。知識が増え、意見表明が強くなる。故郷のため、国のために国際舞台に出ていけば、サポートできる人たちはたくさんいる」とラポロアイヌネイションのメンバーらを励ました。 

 シンポジウムの締めくくりでは、世界の先住民が草の根で連帯する一歩が今回だけの単発で終わらないように、共同声明の策定や参加した先住民同士の今後の連帯、連携した活動を目指す協議会の設立を目指すことが確認された。

国際シンポの締めくくりに、ラポロアイヌネイションのメンバーが海外から来た先住民のリーダーらにお礼の言葉を述べた



【談話】
■ラポロアイヌネイション 差間正樹会長
 浦幌のアイヌにとって十勝川河口域でサケを取ることは先祖からの文化を守ること。それが我々の先住権までに及ぶ権利回復につながる。日本は明治政府以来、一切の条約も何もないまま、北海道を誰も主のいない土地として国の土地にしていった。明治政府の政策に誤りがあったことを今後もっと発信していきたく、第一歩としてサケを取る権利を裁判で訴えていく。

 世界の先住民がすでに先住権を得ている例があり、自然保護をリードしている。だが権利があってもいまだに戦っている姿に感動した。憲法に権利が明記されていても、現実に障害があれば、あえて密漁をして権利の主張につなげる点などには、活動の再考を促された。もし漁業権を得られたら、次は管理が問題になる。その体制も作らねばならないと再認識できた。

■北大アイヌ・先住民研究センター長 加藤博文教授
 北大は遺骨返還訴訟などアイヌ民族との過去の不幸な関係を省みて、07年、当時の学長がアイヌとの関係再構築を目指して当センターを設置した。今回の国際シンポ共催はその意志に加えて、大学が地域社会と連携し、社会課題を解決する役割も担っていることを示すものだ。

 ラポロアイヌネイションから、世界の先住民の動向をつかみ、海外とつながりたいとの要望を受け、できる範囲で協力した。今後もこうした活動を積極的に支援したい。サケを取る権利での裁判も、国がどう対応するのか注意深く見守りたい。

■北大開示文書研究会 殿平善彦共同代表
 (国際シンポ実現に)今まで想像できなかった新しい出来事が生まれていると感じている。当会は浦河町のアイヌ、小川隆吉さん(故人)の「先祖の遺骨を取り戻したい」との意志から08年に生まれた。差間会長らの「先住権であるサケを取る権利で裁判を起こしたい」との意志も、可能な限り応援したい。

 アイヌは苦難の歴史の中で戦ってきた。苦難を乗り越えようとする戦いから、和人である我々は自分たちとは、北海道とはと自問し、何をなすべきかを考え、学ばせてもらってきた。先住民と非先住民が協調して活動することの意味をあらためて大切だと感じた。

ラポロアイヌネイションのメンバーが海外から来た先住民のリーダーらと握手を交わす


<ラポロアイヌネイション>
 浦幌町に住み、働くアイヌで構成する団体。現在の構成員のほとんどは、町内を流れる浦幌十勝川の左岸沿いやその周辺にあった複数のコタン(アイヌ集団)の構成員の子孫

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