出漁しても水揚げゼロ 1000キロ先で探す「大衆魚」
秋の味覚・サンマが今年は取れない。例年8~10月に漁が最盛期を迎える道東沖に群れの姿はなく、漁師たちは魚影を求めて遠く東に1000キロの公海に向かっているが、魚は少なく、経費ばかりがかさむ苦境が続いている。10月初めまでの漁獲量は不漁だった昨年のわずか1割ほどで、漁業者からは「存亡の危機」との声も。スーパーでも「小さくて売れない」と嘆かれる、代表的な大衆魚に起きている“異変”の背景には、外国船の進出や地球温暖化、回遊ルートの変化などが指摘されている。
(デジタル編集部=小林祐己、塩原真、社会部=松田亜弓)
サンマ求め1000キロ先まで
「『もっと大きいのはないの?』とお客さまに聞かれるが、こちらとしても苦しい」。帯広市内のスーパー「フクハラ西帯広店」。この時期、秋サケと共に水産コーナーの主役となるはずのサンマだが、今年はサイズが小さく、存在感が薄い。「小さいサンマは脂がのらない。小さいと売れないので利益も上がらない」。福原商品部水産課バイヤーの臼井有真さんは、残念そうに話した。
北太平洋を回遊するサンマは夏から秋に南下し、北海道沖を通過する。暖流と寒流が交わる道東沖は栄養価が高く、エサのプランクトンをたくさん食べた魚体には脂がのる。10月中旬以降に本州に下るころには脂肪量は低下する。「北海道のサンマはおいしい」と言われるゆえんだ。
ところが今年はサンマがいない。秋の漁は8月に解禁されたが、10月初めまでの総漁獲量は約5000トン。水揚げが盛期の半分程度の11万9930トンと不漁だった昨年の同期と比べてもわずか13%。道東沖では取れないため、漁船ははるか根室東方沖1000キロの公海まで出かけているが、そこにも魚は少ない。「5000トンは最盛期なら1日で取る量。かつてこんなに魚が見えない経験はない」。全国さんま棒受網漁協(全さんま、東京)の八木田和浩組合長は嘆く。
消えるサンマ。海で一体何が起きているのか。
漁出ても「1匹も見えなかった」
宮城県女川漁港のサンマ棒受網漁船「第五十八山神丸」。8月に道東沖の200海里水域(排他的経済水域)に出漁したが、漁獲はゼロ。公海でも漁は空振りに終わり、いったん宮城に帰った。9月に再び来道し、同26日から公海でようやく18トンを取り、釧路港に水揚げした。
「8月からずっと取れなかった。30年漁をしていて今までで最低。赤字だよ」。漁労長の大野一宏さんは厳しい状況を語る。19トンの小型船だが、公海まで行くと燃料代だけで80~90万円かかる。集魚灯など棒受網漁の設備装着など出漁の経費は約1000万円。「乗組員の給料もある。経費だけでも何とかして赤字にならないように」とこれからの漁の回復を祈る。
気になるのは、以前はよく見られた小さなサンマが、ここ数年漁場で見られないことだという。「外国船は年中取っているから」。資源の枯渇を肌で感じている。「年々漁場が遠くなっている。そろそろ小型船の時代は終わりかな」
別の宮城の小型船も8月10日の解禁と同時に公海に出たが、空振りだった。「1匹も見えなかった。釧路から2日かけて、1日ただ見て帰ってきた感じ」。乗組員の男性は振り返る。
9月30日に花咲港(根室)に8トンを揚げた。公海で2日間かけて取った成果だが「群れが薄いし、魚も小さい。漁場は遠いし、魚がいくら高くても燃料代にもならない」。やはり小さい船には不利と感じている。「何十隻も出てほとんど(漁獲は)一けた。だから無理をする船も出ている」
こうした厳しい状況の中、9月17日に大樹漁協所属のサンマ漁船が公海で転覆し、1人が死亡、7人が行方不明になる悲劇が起きた。
無理して遠くまで出漁か
大樹漁協所属のサンマ棒受網漁船「第六十五慶栄丸」の音信が途絶えたのは、納沙布岬(根室市)東方沖約610キロの海上。不漁の影響で、例年より遠い公海に出漁していた。
最後の通信状況から、しけの中で横波を受けて転覆したと見られている。慶栄丸は29トンの中型船。あるサンマ船の乗組員は「小型、中型船は重ければ船が沈むから、少しの波でも転がることがある」と話す。
目撃者もなく転覆の原因は不明だが、釧路海上保安部は「魚がいなければ天候が悪化しても無理をすることがあるかもしれない。もう少し取りたい気持ちは分かるが、勇気ある撤退は必要」とサンマ漁の参加漁船に呼び掛けている。
転覆と同じ日には、同じ海域で機関故障で自力航行できなくなったサンマ漁船の救助に巡視船が向かった。同海保は「とにかく今年は漁場の距離が遠い。事故や負傷でもレスキューに時間がかかる」と例年以上の安全操業の徹底を訴える。
不漁で生食用は無理?
釧路市内の鮮魚店。生サンマが入った箱に断り書きの紙が貼られていた。「今年は量が少ないため、水揚げ時期が違うものが混ざっています」。すべてが生食用ではないということだ。
「遠い漁場から運ぶと、水揚げから数日たってしまうので鮮度は落ちる。それもよくない」。帯広の福原のバイヤー臼井さんは悩む。「イワシがよく捕れているので、安く良いものを提供できている。ただ食卓には浸透していない。他の魚のおいしい食べ方もPRしていかなければいけない」。サンマは秋の味覚の座を失ってしまうのだろうか。
サンマの漁獲低迷は2015年に始まった。水揚げ量は08年に近年最高の34万3225トンを記録するなど20万トン前後で安定していたが、14年の22万4755トン以降、15~18年は10万トン前後に低迷。17年には10万トン台を割る7万7169トンと落ち込んだ。全サンマの八木田組合長は「思った以上に資源的に深刻な状況」と話す。
原因はどこにあるのか。15年以前から、中国や台湾の大型漁船が公海上でサンマを取り始めたことが一因と見られている。日本もサンマ漁業の存続のために今年から通年操業の公海サンマ漁を始めたが、八木田組合長は「公海上で取ったのが響いているのかな。それに温暖化の影響もある」と話す。
近年道東沖に暖水域があるためサンマの回遊ルートが変化していると指摘される。その日本近海から遠ざかったサンマを外国船が公海上で「先取り」し、さらに日本近海に来る群れが減るという構図が浮かぶ。
大衆魚の時代は終わったか
サンマは長年水揚げが安定し、安く、おいしい大衆魚の地位を築いてきた。関係者が「資源管理の優等生だった」とする時代は終わったのか。「国際(資源)管理をしっかりしていかなければいけない。隻数やトン数、総量管理でもだめなら、期間管理も必要になるかも」。
解禁から2カ月、いまだに水揚げゼロの船もある。「とんでもない状況。存亡の危機だよ」と話す八木組合長は、「おいしい魚を取ってきて、消費者に喜んでもらえるのがうれしいし、働きがいがある。それができないのが残念」と表情を曇らせた。
今月3日、台風を避けるために、釧路港には多くの小型、中型のサンマ漁船が停泊していた。缶コーヒーを飲みながら岸壁に座っていた乗組員がつぶやいた。「来年はここまでひどくないと思いたい。そうでないと、もう漁師をやってられない」