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「匠の技」でばんえい前人未踏の5000勝へ~藤本匠騎手~

松岡 秀宜

十勝毎日新聞社 編集局社会部

 ばんえいのレジェンド、藤本匠が積み重ねた勝利数は4586(2022年6月30日現在)。ファンは必然と「5000勝」の大台到達に期待を寄せる。ただ、当の本人は、目先の1勝にとらわれず、馬主や厩舎などとの信頼関係を第一に、「『騎乗機会』を大切にすることが騎手として何よりも大切」と話す。初騎乗から39年の騎手生活で、騎乗機会は3万4600回を超えた(同)。義を重んじ、勝利数よりも騎乗機会に重みを置く。ばんえい史上、通算勝利数最多の道をひた走る還暦騎手は、名前通りの「匠の技」で、きょうもファンをうならせる。

●厩務員から騎手へ
 冬休みなどに合わせて、旭川の叔父のところに遊びに行っていた少年時代。叔父はばんえい競馬の一馬主だった。当時は冬開催がなかったため、レースがない馬たちは、叔父のところに戻っていた。そこで、藤本は「裸馬に乗って遊んでいた」という。

 中学校卒業後。藤本は叔父の推薦を受け、本沢政一厩舎で厩務(きゅうむ)員になる。「3年やって合わなかったら、辞めようと思ったが、だんだん、馬が好きになってね…」。自分が担当した馬がレースで1着になる喜びを感じながら、馬と一緒に歩み続ける厩務員生活は、6年に及んだ。

 すると、周りは騎手転身を進める。「この世界に入ったのも、勉強が好きでなかったから…」。騎手にはなりたかったが、筆記試験に受かる自信がなかった藤本。当時、藤本が慕い「すごく勉強ができた」門脇税(元騎手・元調教師)が、試験対策の先生となって支援し、2回目の試験で合格。騎手の道に進んだ。

『騎乗機会』を大切にする事が騎手として何よりも大切」と話す藤本(ばんえい十勝提供)


●順風満帆と慢心
 「藤本のあんちゃん、ウチの馬乗ってくれや」。実直な厩務(きゅうむ)員時代を知る他厩舎から、多くの声がかかり、騎手デビュー後は、数多くの騎乗機会を確保。そして、がむしゃらにレースに臨み、勝利を重ね、デビュー4年目で年間100勝に達するなど、順風満帆だったが、突然、勝ち星のペースが落ちる。

 「馬には乗れるし、レースも勝てる。すると、飲み歩いて、朝の攻め馬にも行かない。今振り返ると、天狗になっていたんだね…」。そうした生活と態度は、すぐに跳ね返る世界。成績が落ちるだけでなく、騎乗依頼自体が激減する。

 「レースに乗ってなんぼの世界。慢心が招いた結果だが、自分がふがいなかったね」。姿勢を改めた藤本は初心に返り、「朝の攻め馬」を地道にこなす生活に戻っていく。

騎乗馬(マツカゼウンカイ号)とともにレースに向かう藤本=2020年6月19日の北斗賞


●2人の先生
 「勉強の先生が門脇さんなら、騎乗技術の先生は金山さんだね」。藤本が話す「金山さん」は、ばんえいファンなら、誰もが知る“ミスターばんえい”金山明彦(現調教師)。厩務員時代から、すでに金山はトップ騎手として活躍し、騎手転身を進めたひとりだ。

 厩務員時代から、馬の扱い方や騎乗法など、さまざまな手ほどきを受けたが、騎手になってからも、それは変わりなかった。金山の薫陶を受け、騎手としての腕を上げる藤本。「聞けば何でも教えてくれたが、金山さんのまねはできなかった」と笑う。

 金山の通算勝利数は3299。トップ騎手の金山から見れば「やんちゃな若者」だった藤本が、3300勝に達した2012年9月3日。調教師会会長の金山は「若いときから弟子みたいな存在であった男。『おめでとう』と言いたい。看板ジョッキーとして、今後の記録更新に期待している」とコメント。藤本がばんえいの「看板騎手」となったことを、自分のことのように喜んだ。

怪物・サカノタイソン号と念願の「ばんえい記念」も制覇した=2002年2月17日(ばんえい十勝提供)


●「お手馬」の管理と、「騎乗機会第一」の信条 
 「仕事については真面目だよ」と笑う藤本。調教の段階から極力、「自らの手で馬に触れること」を信条とする。天狗になった若手時代の反省もあるが、「お手馬の管理を他人に任せて、もし、けがしちゃったら、それは自分のせい。悔いが残るから」と理由を話す。

 お手馬を自ら管理することで、目先の1勝にとらわれず、「騎乗機会を大切にする」スタンスに変わっていった。「騎手は乗せてもらなわないと、勝つチャンスは生まれないでしょ」と話す藤本は、「乗鞍の数は、馬主さんや厩舎からの信頼の証」と力を込める。

 例えレースで負けても、馬主や厩舎と信頼関係を作る大切さ。そして、朝の攻め馬を積極的にこなすことで、また信頼と信用が生まれ、新たな騎乗機会を生うんでいく。その姿勢が、ばんえい騎手最多勝を走る騎手としての源泉だ。

「匠の技」で積み重ねた勝利数は4500勝を越える=2021年9月19日、通算4500勝を達成時したアサヒユウシン号と(ばんえい十勝提供)


●天職に巡り会い、一戦一戦を大切に
 デビュー日のメイン競走で「騎手人生のスタートとなった1勝目」を飾ったキタノウルフ、「乗るのは騎手の夢」という農林水産大臣賞典(現ばんえい記念)を初制覇したテンショウリ、「やっぱり、忘れられない」という名馬・サカノタイソン(ばんえい記念など制覇、通算73戦50勝)を思い出の馬に挙げる。

 その一方、デビューから引退までの191戦のほとんどに騎乗したコウシュハウンカイ(帯広記念など通算50勝)には、「(6回挑戦した)ばんえい記念を、一度でも、取らせてあげたかったな…」と漏らす。

 初騎乗から12年目で1000勝(1994年9月10日・岩見沢競馬場)、初騎乗から丸20年で2000勝(2003年2月25日・帯広競馬場)は、いずれもデビューから最速で達成。21年9月19日には、ばんえい競馬史上初となる4500勝に到達した。

 ばんえいファンはだれもが、前人未踏の「5000勝」に期待を寄せる。年間100勝を、あと4年ほど続ければ到達する計算だ。ただ、当の本人は「いまは年だし…。1年1年、いや、1日1日乗ることが第一。いつ体力の限界が来るか、分からんし…」と素っ気ない。

ゴール後、厩務員らとレースを振り返る藤本(ばんえい十勝提供)


 「ちょとしたけがでも平気で乗れた若い時と比べ、今は湿布を貼る枚数も多くなっているよ」と笑う。先のことを思わず、1戦1戦の騎乗を大切にし、その結果、勝利をひとつひとつ重ねて、その先に…といった思いは胸に秘めている。

 自身にとって、ばんえい競馬は、「天職に巡り会えた。好きな仕事をできることに感謝したい」。ばんえい競馬の存廃に揺れた状況も知るだけに、ファンには「みなさんの応援がないと、続けられないのが、ばんえい競馬」と訴える。

 「(土・日曜日の)運動会は全員が小学生の時。雨で火曜日開催になった1回しか、見に行ってあげれなかったね」と話す4人の子どもたちは独立し、孫も5人いる。本州に嫁いだ長女と孫が帰省する年末年始や盆をはじめ、一番のファンである家族が、競馬場に来ると、当然ながら「力も入るよ」。これからもファンからの声援に、熟練の技で応える覚悟だ。
(文中敬称略)                          



藤本匠(ふじもと・たくみ
1962年2月9日生まれ。札幌市出身の60歳。岩本利春厩舎。中学卒業後、厩務(きゅうむ)員を経て、1983年4月に初騎乗。通算4586勝(重賞は75勝)。主なBG1タイトル(BG1格付け前組む含む)は、ばんえい記念(92年テンシヨウリ=旧名称の農林水産大臣賞典、02年サカノタイソン)、ばんえいダービー(96年キタノビックエース、06年ナカゼンスピード、16年マルミゴウカイ)、ばんえいオークス(99年アーティガール、09年ワタシハスゴイ)、帯広記念(00年サカノタイソン、18年、20年コクシュハウンカイ)、天馬賞(10年オレワスゴイ、12年ファーストスター、18年マルミゴウカイ)、イレネー記念(99年アーティガール)など。
※2022年6月30日現在

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