勝毎電子版ジャーナル

勝毎電子版

2021年9月にきゅう舎の看板馬でもあるメジロゴーリキでBG2岩見沢記念を制して口取りする松井さん(右から2人目)。年明けの帯広記念でも勝利を目指す

名伯楽の父から受け継いだトップトレーナーへの道 ~調教師・松井浩文さん~

 昨シーズン(2020年度)は136勝を挙げて、開業から15年目で初のリーディングトレーナーの座を射止めた松井さん。今季も勝利数93でトップ独走中だ(2021年12月29日現在)。年明け最初のBG1帯広記念に出走するメジロゴーリキ(牡7)をはじめ、アルジャンノオー(牡3)、インビクタ(牡5)、グリフィス(牡2)、シュトラール(牡3)、ナカゼンガキタ(牝7)、マルカゼウンカイ(牡7)=※馬齢は2021年12月31日の時点=など、管理馬には各世代の有力馬が目白押し。新年を迎えて2年連続リーディング調教師へフルスパートに入る。

 1965年にばんえい調教師の名伯楽だった父・浩(こう)さんの長男として北海道旭川市で生まれた松井さんは、幼いころは、ばんえいが道内4カ所で開催されていたため、父の仕事に合わせて春の岩見沢を皮切りに、旭川、北見、そして冬場の帯広と、競馬場が開催される土地を転々と移り住んだ。

パワーとスピードを兼ね備えたメジロゴーリキ。先行力も武器だ

 高校を卒業後、父のきゅう舎できゅう務員として働き始め、23歳のときにばんえいの騎手試験に合格。名手ぞろいだった群雄割拠の時代だったにも関わらず、順調に勝ち星を重ね、松井さんによると「(騎手リーディングで)常に5位くらいには入っていた」という。

 騎手時代の思い出のお手馬はホウショウリキや引退後にはリーディングサイヤーにも輝いたウンカイ。師匠であった父の浩さんによる「馬にクセをつけない」乗り方を心掛け、レースでは「ゆっくり、慌てず、(障害を)下りてからゴール間際で先行馬を交わせばいい」という教えを守り、着実に成績を伸ばしていた。

 転機となったのは2005年。父の浩さんが調教師の定年を迎え、きゅう舎の後継者問題が発生した。松井さんはまだまだ騎手としてやれる手ごたえはあったが、当時、自厩舎に競走馬を預けてくれていた馬主らからの要望もあり、調教師試験を受験。騎手としての道半ばでトレーナーの道を歩み始めた。

松井浩文さん

 父の時代の多くの有力馬主からの管理馬を引き継いだため、松井さん自身、順風満帆な調教師生活を送れると考えていた。ところが、ちょうどそのころからばんえい競馬は売り上げが低迷。「賞金や諸手当が減り、馬主さんの数自体も少なくなった」と、ばんえい競馬そのものが存廃問題に揺れていたこともあって苦労が絶えなかったという。

 そして、ばんえい競馬は新たな局面を迎えて2007年から帯広市の単独開催へ移行。その後も売り上げの低迷は続いたが、我慢強く、そして父から受け継いだノウハウを自身の形にアレンジしながらきゅう舎を運営していくと、カネサブラック、トモエパワー、フクイズミ、コウシュハウンカイら、管理馬から次々と名馬が誕生した。

 「何度かもう少しでリーディングを逃したことがあったけれど、昨年度の後半から(管理馬の多くを)松田道明騎手に乗ってもらうようになってから成績が上がって来た」と信頼する通算2500勝のベテラン名手に最敬礼の松井さん。松田騎手だけでなく、その馬、その馬に合ったベストの騎手を選択していくことが勝ち星の量産の一因でもある。気分を損ねず、競走馬の能力を最大限に発揮させる“松井流”の稽古で、今シーズンも帯広競馬場のコースを管理馬たちが席巻している。

<松井浩文(まつい・ひろふみ)>
 1965年11月7日、北海道旭川市生まれの56歳。旭川実業高を卒業後、実父の浩(こう)さんが調教師をしていたきゅう舎でのきゅう務員を経て、1988年に騎手デビュー。2005年限りで引退し調教師に。トレーナーとして通算1560勝(2021年12月29日現在)。

記事のご意見・ご感想
深掘りしてほしい話題はこちらへ

かちまい投稿ポスト