勝毎電子版ジャーナル

勝毎電子版

飲食ブラック経営から馬牧場主に転身 周囲の支えに競馬人気追い風も 「物欲より人に認められる方がちょっと幸せかな」

高田 英俊

十勝毎日新聞社 編集局 整理グループ

 飲食店経営に突っ走ってきた起業家が、ばんえい競走馬の牧場主に転身した。金福畜産の金田龍二社長(45)は大の馬好きで若いころからの馬主。周囲から一時は「ブラック経営」と冷やかされながらも成功した飲食業から身を引き、たった一人で馬の水くみから始めた。周囲に支えられ、競馬人気に助けられ、牧場は設立から丸5年を経て軌道に乗った。

 ばんえい競走馬を一貫肥育する金田さんは4月17日の夜、帯広市の繁華街「まちなか」の居酒屋で上機嫌だった。この日は競走馬としてデビューできるかを分ける能力検査、通称「能検」の今年最初の日。自身の牧場で生み育てた馬が全体で5位、牝馬では首位の好タイムを収めた。

金福畜産の金田龍二社長


 馬主や騎手ら店の座敷を貸し切った十数人の仲間の大きな笑い声が飛び交う。「(今までの)最高成績だよ~」。喜んで杯をぶつけ合う。その馬は、重賞3勝の世代最強馬「キングフェスタ」の父、「カネサブラック」の血統を継ぐ最後の子だった。金田さんに飼育の手助けをした旧知の加藤信一さん(65)が種付けしてくれた。

 帯広市出身の金田さんは、23歳からバーや焼肉店を開店すると当たり、25歳時の確定申告は6000万円。さまざまな業態を東京も含め最多で11店運営した。30代からは不動産業にも乗り出し、ピーク時には14物件を貸した。腕を見込んだ銀行は融資で後押ししてくれた。

 だが、「経営の内情は自転車操業。サドルなしでずっと立ちこぎだった」と金田さん。「料理の腕は3流以下。金を盗む従業員は3人生まれたが、右腕と呼べる人は育てられなかった」と笑う。

 元々、10年で年商10億円に届かねば商才が足りないから身を引くと家族に宣言していた。「付いてきてくれる人もいない。好きなことしかやる自信がない」と、知人の牧場内で間借りして母馬5頭を飼い始めたのは2015年だった。

餌を食べる馬(金福畜産)


 翌16年、上士幌市街地から足寄町に近い今の居辺地区に牧場用地を確保した。馬は「草は食べられなくとも、水が途絶えると死ぬ」と聞き、夜も明けぬ酷寒も湯をくんだ。そんな様子を見て、近隣農家が「あんたどっから来たんだ」と声をかけてきた。この農家は本来貸せない土地を金田さんに用立て、町役場や農協を紹介して、知らなかった補助金制度の活用や融資をまとめる手助けをしてくれた。17年4月、今の農業生産法人の設立にこぎ着けた。

 くしくも15年ごろから、ばんえい競馬を取り巻く環境は好転していた。馬券収入がオンライン販売の伸びに押し上げられて、馬主へ渡るレースの賞金や出走手当が引き上げられてきた。レース運営から馬主、生産者へとつながる経済的なエコシステムがうまく回り始めていた。 

 金田さんは最多時には65頭を飼育し、紹介を通じて20人近い馬主に買ってもらえた。子馬の時点で売り、飼育を受託して受け取る収入も安定してきた。生まれた子馬は、8~9割の高い率で競走馬になっている。

 教えてもらったことを「さぼらないで真面目にやっていただけ」と金田さん。必死になりながらも、好きな馬との仕事をするのが楽しかった。「競走馬の成績はまだまだ。いい馬走らせて、金福って牧場があったんだなあって言ってもらえたらいいかな」。

ばんえい競走馬牧場、金福畜産(上士幌町)の馬


■「『破水したー』って呼ばれたよ」
 カネサブラックの種付けをしてくれた加藤種馬所(足寄町)の加藤信一さんは、金田さんが上士幌へ移ってきたころ、毎日のように電話を受けた。「いいことも悪いことも、今日の出来事といった感じ。『破水したー』って、呼ばれたよ。しょっちゅう行ってたね」とほほ笑む。

加藤種馬所の加藤信一さん


 二人が知り合ったのは10年以上前。加藤さんは馬主兼生産者、金田さんは馬主で、ばんえい競馬場内で同じ厩舎(きゅうしゃ)の世話になっていた縁だった。加藤さんは金田さんを「龍二」と呼ぶ。

 金田さんは馬を飼育するのに間借りしていた大樹町内の牧場から出て行かなければならなくなって焦っていたころ、加藤さんと草競馬で偶然に顔を合わせ、自前の牧場の用地を探していると話した。

 金田さんはその後、上士幌で以前に犬や猫と遊べる施設「ワンワンパラダイス」があった家屋倉庫付きの土地が10年以上空き、売りに出されていたのを見つけて即購入。当初の5頭から11頭へ増えていた母馬と共に越してきた。多数のペットを飼っていた場所だったので、牧場に諸条件が合う掘り出し物だった。偶然にも加藤さんの種馬所から車で約20分の距離だった。

 夜も明けぬ酷寒の朝から、金田さんは一人で馬のために湯をくんだ。「マックス70度の湯を用意すると馬が奪い合って喧嘩する。湯は鉄の水槽に入れるとすぐ40度くらいになっちゃう。馬はマイナス60度まで耐えられると言う人がいるけど、やっぱり寒いんだなと分かった」。

金福畜産の牧場(上士幌町字居辺)


 家の中から床をべとべとにぬらしながら運ぶ。毎朝夕の水やりだけで計5時間かかった。合間に餌を与え、柵の点検など牧場の体裁を整えた。出産期である初春から数カ月、馬の様子を夜通し1時間半ごとに確認しに懐中電灯を持って外へ出た。このころは「がたがた震えながら子馬にヒーター当てて温めていた」

 金田さんはここで2度目の冬、湯を用意するのに安い中古ボイラーを購入し、蛇口をひねればホースから湯を出せるようにした。「初めて出た時は(人気ドラマ)『北の国から』(の川から水が引けたシーン)じゃないけど、ほんと感動した」と思い出して顔をほころばす。

 加藤さんは「龍二は若いけどよく勉強している。やる気もある。素人と思ったことはないよ」とその姿を語る。

 加藤さんは元々、根室管内の標津町で2代目の酪農家だった。息子に経営を引き継ぎ、足寄出身の妻と今の種馬所を始めたのは15年前。標津ではばんえい競走馬も育てており、30年以上の経験がある。

加藤種馬所の種馬の1頭


 金田さんが繁殖を始めた当初はよく手伝いに行った。「メスが妊娠に良い状態になったころによく連絡がきてね。種馬も交尾に慣れていないうちは横から乗ったり、メスをかじったりする。そこらへんは気を付けて調整してあげないと」。牛は乳用、肉用とも人工授精が一般的だが、馬は自然交配だ。その時期は早くて2月中旬から7月初旬まで続く。「でもどこで調べているのか知らねぇけど、いろんな勉強していたな」

 加藤さんは長年の経験はあれど、馬が「脱臼や関節炎になるとダメだと思っていたがね」と金田さんから学んだことを思い出す。金田さんはヒアルロン酸ナトリウムが効くと言い、加藤さんは逆に教わって、薬を分けてもらったこともあった。

 馬の栄養もそうだった。「カルシウムやビタミンが基本だが、俺らは昔はカルシウムは草に含まれるものと思ってた」と加藤さん。その点、金田さんは、こうしたビタミンなど栄養分を特に出産前後に豊富に与えるよう気を配っていたという。

餌を食べる加藤種馬所の馬


■馬パラチフスの恐怖
 金田さんから電話がくる頻度は、時間がたつにつれて少なくなっていった。だが昨冬に十勝で馬パラチフスが発生。加藤さんによると、一部の農場では子馬が全滅した。北海道内では14年以来初めての発生だった。

 そんなころに金田さんの妊娠馬の寝起きが良くなく、出産する頃合いでもないのに体を起こせないまま子馬を産んだ。30頭を越える妊娠馬がいた金田さんの頭には病気の恐怖がよぎったが、加藤さんが自身の経験から「メス馬が苦しいけど踏ん張って子馬を出してしまうのはよくある」と話したことで安心したという。

餌を食べる馬(金福畜産)


 二人は持ちつ持たれつだ。4月に足寄で山火事があり、加藤さんは避難指示が出るかもしれないと警告を受けた。種付けのために道内や東北地方の馬主から預かっている馬が15頭、自身の保有馬が11頭いる。いざどこかへ移動させる必要もあるとひやりとしたが、「龍二が避難指示出る前に心配して見に来てくれた。心強かったね」

 金田さんは、加藤さんらこの世界の先輩に学びながら馬の一貫肥育を進めた。この間に、心に誓ったことが二つあると言う。「飼っている生き物に失礼なことはできない。あいつに教えてもだらしねえ仕事だなと絶対言われない」。マイナス25度でも屋外にいるのが億劫にならなかった。夜中に監視カメラを見ながらずっと起きている出産期の3カ月も苦にならかった。

 「好きだったからだろうね」と金田さん。「こんなに一つのことにじっくり取り組むとは思わなかった。今の方が身の丈に合っているかも。はまったと言うかな」

餌を食べる馬(金福畜産)


 金田さんを手伝った近隣農家の男性も初めて金田さんと飲みながら話した地域の集まりで「熱心な人なんだな」と感じたのを覚えている。馬についての知識や技術が足りないと感じていた金田さんが他の生産者や大学の専門家に教えを受けていたことも徐々に知るようにもなった。

 酪農業を営むこの男性は「馬は牛と違って放ったらかしにはできない。生ませてなんぼ。生んで死なせないために一生懸命だったね。まさか何十頭も買うとは思わんかったけどね」と驚いた。「過疎化になるばかりの地域に新しく入ってきてくれて、ありがたい」との気持ちだった。

 加藤さんの心持ちも似ていた。「若いのによくやるなあと。生産者が減っていく中で頑張っているので応援してあげたくなる。何に関しても真剣。繁殖、育成、餌のやり方。田山さん(金田さんの馬主の一人)にもいろいろ聞いていたみたいだな」

 金田さんは昨夏、新型コロナウイルスに感染した。最初は自宅待機だったが、呼吸困難が増して入院。呼吸不全で酸素投与が必要な「中等症2」だった。牧場を不在にするのを前に、金田さんは加藤さんに電話をかけた。

 「若い人でも亡くなることもある。馬を処分したら何頭分を誰に分けてくれ」などと遺言めいたことを言う金田さんに、加藤さんは「そんな話するでねぇ」と返し、3日に1度、金福畜産に馬の様子を見に行った。

■馬好きが助け合う
 今年第1回目の能検を終えた夜、金田さんから馬を購入してきた函館の馬主、田山克廣さん(72)も酒席にいた。田山さんは、主に道東の乳牛や馬を本州へ運ぶ運輸会社、田山産業運輸(北斗市)を1972年に起こした創業社長だ。馬主歴は30年ほどになる。

金福畜産の一番のお得意様の馬主、田山克廣さん(北斗市の田山産業運輸社長)


 金田さんとばんえい競馬場の厩舎で出会ってからは10年ほど。馬主同士として知り合い、保有馬の売買で付き合いがあった。田山さんは十勝のほか、加藤さんが経営していたような釧路や根室の牧場からばんえい競走馬を買うこともある。

 ばんえい競馬にデビューできるかを見定める能検には、30頭以上を出してきた。レースに出走させることができた馬は25~26頭。かつて道内4市(旭川、岩見沢、帯広、北見)で開催されていたばんえい競馬は2007年、帯広だけの単独開催となった。馬券収入が低迷し、馬主の懐事情が厳しかったころも変わらず馬主であり続けた。

 馬が好きだからこそ。とにかく「出走させるのが楽しい」。金福畜産からは、「いつもだまされて高いの買わされてねぇ。去年だけで4頭。もう10頭は買ったね」と冗談めかして笑う。

 「この人、(馬の善しあしを見分ける)目利き無いの」と金田さんが笑いながらやり返すと、田山さんも「うるせえ、この」と酒が入った顔で笑う。馬は1頭200万円以上。田山さんは金福畜産の馬を最も多く買って、支えてくれているお得意様だ。

 金福畜産で飼育した「カツヒーロー」は田山さんが購入し、4年前に同世代のトップ10頭までしか出られない重賞レース(BG1)「イレネー記念」に出走した。足寄の加藤さんの種馬「カネサブラック」で種付けした牝馬「ピュアリーナナセ」も田山さんが買い、今年2月の黒ユリ賞(牝馬限定)で優勝、賞金を手にした。

加藤種馬所の入り口に立つ看板には種馬「カネサブラック」が描かれてある。同馬の子ども「キングフェスタ」は重賞3賞を挙げている。


 金田さんは「何でもない会話からすごく多くを学ばせてもらうことがあった」と田山さんとの交遊を振り返る。馬への近づき方、扱い方、輸送車両への載せ方など肩肘張らない場での話が金福畜産の仕事に生きたと感謝する。

 「こんな人たちと飲んでたら、もう普通の人と話せないでしょ。楽しくて仕方ないから」と金田さん。「成績悪くたって一緒に飲むんだから。馬鹿野郎、この野郎しか言わないんだから」と笑い声が途切れず響く夜になった。

■馬券収入伸び 馬主・生産者助ける
 ばんえい競馬は、人気が高まって馬券収入が膨らめば、関わる人たちへお金が回りやすくなる。ばんえい競馬馬主協会によると、同収入は2011年度(11年4月~12年3月)を底にして伸び続け、21年度はおよそ5倍の約518億円と史上最高額に達した。


 オンライン販売は道内4市で開催していたころから始まっていたが、同協会の小坂良孝事務局長は「普及が進んでギャンブルを楽しむ裾野が、若い層など馬券を買ったことがなかった人たちへも広がった」と増収の背景を語る。昨年の馬券収入のうち、「オンライン販売は9割以上。ほぼ十勝の外(に住む人による購入)と考えていい」(小坂事務局長)。

 小坂事務局長によると、ばんえい競馬の馬券収入は14年度途中から、首都圏の4競馬場(大井、川崎、浦和、船橋)の「SPAT4(南関東4競馬場インターネット投票システム)」を通じて販売され始めて、増収の一因になった。SPAT4は現在、最も発売額が多い販売チャンネルとなっている。

 函館の馬主、田山さんは、ばんえい競馬は「帯広1市でやり始めた時は大変だった」と持ち出しの多い厳しい時期があったと言う。ただ同収入が増えるにつれて、競走馬がレースを出る度に馬主へ渡る「出走手当」や入賞賞金を引き上げる余裕が生まれた。

 帯広単独開催の「ばんえい十勝」となった07年度の出走手当(2歳馬、1出走目)は厳しい財政事情を理由に開催ごとの変動制だったため、年度平均で2万9323円だった。だが同手当は3年後の10年度には4万円の固定となり、そこからさらに伸び続けて21年度は7万円まで上がった。


 一方、1着の賞金額は、重賞レース(BG1)の「ばんえい記念」なら最低だった12年度の300万円から昨年度までに1000万円に、同じく「帯広記念」なら同じ期間に5倍の500万円に上積みされている。田山さんは「今は損をしにくい。馬主にとってはありがたい環境になっている」と状況が好転していると言う。

 こうした効果は生産者にも及んでおり、5年前に正式に起業した金田さんはまさにこの追い風に乗った。

 金田さんが最初の5頭を購入したのは7年前。「相場は悪くて底に近く、安く買うことができた」。だが馬券収入の増大効果で馬主が潤い始めると馬の値段が上がり始めた。生産者が高齢化し、若い人の新規参入がほぼない担い手不足の背景もある。「レースで馬を走らせても馬主が赤字にならなくなり、ぼくらに恩恵がきた。紹介で馬を買いに来る人が出てくるようになった」。

馬主は馬をレースに走らせても損が出にくくなった(帯広競馬場で、5月15日第4レース)


 同業者も減っていた。金田さんが知る限りでも、自身が飼育を始めてから、参入した人は2人だが、廃業した人は15人いた。

 足が曲がった馬などは、通常は九州などで食肉用に回されるが、走らせても損をしないなら競走馬として食肉用より少し高値で買おうという馬主も現れる。「飲食業なら最悪を想定して事業計画を立てる。ウチは計画より現実がどんどん上振れしていった」(金田さん)。

 ばんえい競馬の主催者である帯広市は生産者を支えるため、15年度からレースのランクや着順(3位まで)に応じて、生産者に与える生産者賞の支給を始めた。予算は当初3カ年度は年間800万円だったが、馬券収入の増加に応じて18年度から3倍以上の2674万円に積み増した。

 さらに18年度にはまた、生産者の支えとなる奨励金も導入。馬がレースに出走する度に、着順に関係なく一律に1万円(上限)を支給。この金額を21年度には1万2000円(同)に引き上げた。

帯広競馬場内でレースを占うばんえい競馬のファン


■馬預けてもらえる誇り
 馬の一貫肥育事業は、金田さんにとっていつも飲食業と比較すると特徴が分かりやすく見えた。

 飲食業なら流行る店を出したら、すぐに真似るライバルが出てくるが、馬の生産は一朝一夕にできる仕事ではない。「朝から晩まで働いている。この世界は社長が率先して働かないと絶対誰も付いてこないので厳しい。誰も参入してこないし、人と比べる必要もなかった」

金福畜産の牧場の一角


 新型コロナウイルスの感染が拡大する前、同業の先輩経営者らは人手を確保できていた。だが金田さんは、後輩からブラック企業と冗談を言われていた自分の店には応募者がほとんど来なかった苦い経験があった。

 上士幌に来て、敷地内の雑木を慣れない中古チェーンソーで切り倒し、片付けたばかりのころは、牧場は決してきれいな環境ではなかった。「この業界では普通なのかもしれないが、飲食をやっていたから汚いのが嫌だった」。その間にも重機を操って牧場整備を助けてくれる人、善意で馬の飼育法を教えてくれる人がいた。

 できるだけ良い草を食べさせたいと給餌している時や午前中に水槽を掃除したり、地面にちらかった馬ふんを重機で片付けた時にたまたま馬主が見に訪れて、人づてに褒められたりする運の良さもあったと打ち明ける。そんなうわさを聞きつけて、金福畜産に預けたいと調教師を通じて連絡してくる人もいた。

加藤種馬所の馬


 「技術向上もゆっくりで良かった」と金田さんは言う。毎日がお湯くみと餌やり、馬の点検の繰り返し。空いた時間は柵など設備の点検。短時間で一度に多くの仕事に習熟する切迫感はなく、スキルを背伸びしないで少しずつ上げていけた。

 当初は馬の様子を確認できるカメラがなく、1時間半おきに見に行ったが、そうしているうちに洞察力が身についた。ただ、「馬の生死にも遭い、助けられたかもしれないとくやしい思いをした」とも認める。

 昨夏にやっと従業員2人を採用。今は母馬が約30頭おり、子馬が年20頭ほど生まれる。母馬を飼育し、生まれた子馬を売りつつ、そのまま育て続けることで売却と飼育の受託料を合わせた収入が立つようになった。

 一般に子馬は牧場によっては競走馬になれず、大半が食用に回るのも珍しくない。金福畜産は8~9割という高い比率で競走馬になっている。付き合いが生まれた馬主は青森県や宮城県、函館、札幌、釧路など20人ほどに広がった。

加藤種馬所の馬


 飲食店経営時代は新店を出した日には次の出店を考えていた。仲間だと思ってレストランを出せそうな好立地の土地について話すと、先回りして契約されていたこともある。好きな馬を相手に「がつがつ、ぎらぎらせず、人のつながりを大事にする商売ができているかな」(金田さん)。

 金田さんは昨年、うれしいことを経験した。

 札幌から東へ約20キロの南幌町から馬を釧路へ運んでいる途中で、運ぶ先の馬牧場の70代の経営者が脳梗塞で倒れた。年末までに届けるはずだったが、結局2月初旬まで預かり、あらためて送りとどけた。

 その間の餌代や輸送費はもらわなかった。いつも馬のことを何かと教えてくれる相手だった。牧草が足りないと相談したら1週間もたたないうちに50~60本あるぞと連絡してくれた。「預かってもらわなくていいと言われないのが誇り。一流の人たちに信頼してもらえている」とここまでかいてきた汗をかみしめた。「物欲より人に認められる方がちょっと幸せかな」

レースで走る馬を追いかけるように観戦するファンたち(帯広競馬場で)

記事のご意見・ご感想
深掘りしてほしい話題はこちらへ

かちまい投稿ポスト