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11年前の十勝 そして「次」の大津波

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「行動」促す被災の記憶 命守るため語り継ぐ
 2011年の東日本大震災から11日で11年。未曾有の大災害は多くの人命を奪った。十勝も津波が襲ったが、幸いにも人的被害はなかった。広尾、大樹、豊頃、浦幌の管内沿岸4町は震災後、避難階段や緊急避難場所の整備などハード面の対策を進めてきた。一方で十勝を含む道東沿岸では、東北地方を襲ったような巨大津波の襲来が予測されており、住民の逃げる意識をどう維持していくかが問われている。

 震災から11年を経た東北では今、体験を伝える語り部活動に若い世代が携わり、被災地内外の人々の防災意識向上に貢献している。

 小学5年生のときに宮城県で被災した津田穗乃果さん(帯広畜産大学4年)もその一人。高校生で語り部を始めた津田さんは言う。「下の世代に残すことは大切だと思う。面と向かって話すことに重きを置いて、思いを伝えていきたい」。

 津田さんはこの4年間、十勝管内の小・中学校でも当時の体験を語り、未来を担う子どもたちの糧になるよう願ってきた。


音更小学校で自らの体験を話す津田さん(2019年)


 記者はこの数年間、宮城県内の津波被災地を数度取材で訪れた。沿岸部の住民は震災前から津波の危険性を知る機会は多く、避難訓練も定期的に行っていた。ただ、近年は核家族化もあり、高齢者から過去の体験を直接聞く機会は多くなかったという。体験者の声色や雰囲気、思いを実際に聞くことで、心に残るものは必ずある。語り継いでいくことも災害対策を考える上で重要だ。

 2月26日、超巨大地震による津波を想定した避難訓練が広尾町で行われた。冬季ということもあり、参加者の多くは車で避難。その中、港近くに住む75歳の女性が避難階段を上り、避難場所の町役場駐車場までの約20分の道のりを歩いて避難していた。

 避難階段は約170段あり、若い男性でも息を切らしていたほど。女性は週間に4、5回は健康のために階段を上っており、「車が使えない状況になるかもしれないし、いざという時に上れるように」と話した。

避難階段をのぼる沿岸で働く従業員


 沿岸の漁師の家に育った女性は、1952、68、2003年と繰り返した十勝沖地震を経験し、「海の底が見えるくらい」の津波が来たこともあった。広尾では20メートル級の津波が想定され、階段を上って逃げなければ沿岸部は海に飲まれる。「浜の人はみんな逃げることは分かっているけれど、意識の差はある。訓練に来る人は毎回決まっている」と不安も語った。

 ハード面が整備されていても、行動できなければ逃げ遅れてしまう。11年前も含め、過去には十勝に確かに津波が来た。そのことを語り継ぎ、備えることが大切だ。守れる命を守るために、きょうは防災について考えたい。(松田亜弓)


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