「今の北海道は3・11前の東北と似ている」 必ず来る道東沖超巨大地震 急がれる観測強化、考えるべき社会とは
「今の北海道は3・11前の東北に似ている」-。東京大学地震研究所の佐藤比呂志教授は、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の研究成果から、十勝沖を含む千島海溝沿い超巨大地震の切迫性に警鐘を鳴らす。道内の内陸地震発生の可能性も指摘する佐藤教授は、「必ず来る」大地震に向けて、「とにかく観測を強化すること。そして災害があることを前提に、どういう社会をつくっていくのかのビジョンが必要だ」と呼びかけている。
(小林祐己)
◆津波起こす海溝型地震
2011年3月11日に東日本大震災を起こしたマグニチュード(M)9の東北太平洋沖地震は、太平洋プレートが陸側プレートにもぐり込む境界で発生した海溝型地震(プレート境界型地震)だった。十勝沖や釧路・根室沖で想定される千島海溝沿い巨大地震も同じ海溝型地震だ。
海溝型地震は、陸のプレートが引きずり込まれて先端部に「ひずみ」が蓄積し、限界に達して跳ね上がることで発生する。揺れで移動する海水の量は膨大で、広範囲に大きな津波が発生する。三陸沖を震源とした東北太平洋沖地震では、長さ約480キロ、幅約150キロに渡る広範囲で岩盤が割れたとされる。
東北太平洋沖地震発生から10年、佐藤教授はこれまでの研究から、「北海道は3・11前に似ている」と指摘する。超巨大地震の発生前に、東北では何が起きていたのか。そして、現在の北海道は何が「3・11前」の東北に似ているのだろうか。
◆沈む海岸部
震災前の東北で起きていたことで、佐藤教授が最初に指摘するのが、三陸の太平洋沿岸で観測されていた「継続的な沈降」だ。東北太平洋沖の験潮記録を見ると、約60年にわたって沈降傾向が続いていた。
「岩手、宮城の沖は観測が始まってからずっと沈んでいた。短い間なら良いが、長い間続くと困ったことになる」。なぜ困るのか。三陸沿岸には高さ50メートルにもなる12・5万年前の海成(かいせい)段丘がある。長い期間では土地は隆起しているのに、海岸は沈んでいる。この矛盾の説明がつかないからだ。
その矛盾の解決が巨大地震と考えられる。実際に3・11後、三陸沖はいったん大きく沈んだ後、ゆっくりと隆起を始めている。それ以前にも、東北沖ではM8に近い大地震が複数回起きていたが、佐藤教授は「M8程度では(沈降は)解消されない」とみる。
そして、北海道でも道東太平洋沿岸で同様の沈降が観測されている。特に顕著なのは花咲(根室)、釧路で、1955年の観測以降、沈み続けている。その間には1994北海道東方沖(M8・2)、2003十勝沖(M8・0)などの大地震が起きたが、沈降運動は変わらず続いている。
佐藤教授は「東北を経験した目で見ると、M8後半かM9に匹敵する地震がないと、沈降は収まらない」と説明する。
◆たまる「ひずみ」
震災前の東北で起きていた現象の二つ目は、プレート境界の大きな「引っかかり(すべり欠損)」だ。引っかかりとは、本来は陸側プレートに滑って入る太平洋プレートが入っていない状態で、ここがずりっと滑ると地震が起きる。
震災前の2006年にGPSデータを解析した結果によると、東北沖に大きな引っかかりがあった。力のかかり具合(応力)を計算した結果でも、3・11前の東北沖はどんどん圧縮し、「ひずみ」がたまっていたことが分かっている。
では北海道の状況はどうなのか。06年の解析で、東北沖と共に大きな引っかかりがあるとされたのが道東沖の千島海溝沿いだ。特に千島沖の引っかかりは大きく、「ひずみ」がたまっていると見られている。
引っかかりはいつかは「必ず滑る」。東北沖の引っかかりは3・11で解消された。千島沖も「超巨大地震が発生する可能性が高い」とみられている。
◆続く内陸地震
東北で起きていたことの三つ目は「内陸地震の頻発」だ。震災前の東北では、2003年に宮城県北部、2007年に中越沖、2008年に岩手宮城内陸と、大きな地震が続いた。
「この手の地震はだいたい10年に一度。今考えると異常だった。後付け的知識で見れば、こういう時期にサインが出ていたことが分かる」。佐藤教授はこれらの内陸頻発地震が後の海溝型超巨大地震の影響を受けていたと説明する。
「陸のプレートが海のプレートとくっついていると、一緒に引きずり込まれて力を受ける。東北では弱い場所があって、(巨大地震が)起きる前に降参してしまった断層がいくつかあって、M7クラスの地震を起こした。それが内陸地震」
東北では、最後の大きな内陸地震が起きた3年後の2011年に超巨大地震が起きた。佐藤教授らの研究では、東北沖の応力状態は内陸地震が収まった08年ごろから圧縮が緩んでいたと推定している。
この考え方を北海道に当てはめると、内陸では2018年に胆振東部地震が起きている。胆振東部地震と、今後起きる海溝型地震の関係は現時点では分からないが、佐藤教授は「北海道では内陸地震が起きやすい状況になっていると考えても構わない」と指摘する。
◆堆積物が語る過去
このほか、津波堆積物や歴史資料の研究からも、道東の巨大地震の切迫性は指摘されている。
東北では平均すると1000年前後の間隔で大津波に襲われており、最後の貞観(869年)から1000年が経過していた。道東沖も平均350年間隔で巨大地震が起きており、最後の17世紀からすでに400年が経過している。
この堆積物の研究結果から、国は道東沖の超巨大地震(M8・8以上)の今後30年以内の発生確率を7~40%と推定し、「北海道東部に大津波をもたらす巨大地震の発生が切迫している可能性が高い」と危険性を周知している。
100年後か明日なのか。いつ来るかは分からないが、佐藤教授は「重要なのはそういう津波が来るのが自然だということ。来るか来ないかではなく、巨大地震は100%必ず来る」と呼びかける。
◆東北の経験を生かす
「3・11前に東北で起きていたことは、約60年間海岸が沈降して、内陸で8年間地震が多発して、その3年後に起きてしまった。今の北海道はここ(沈降~内陸地震)じゃないかと思っている」。胆振東部地震をどう考えるかの評価次第としながら、佐藤教授は道東沖巨大地震が迫っている可能性を指摘する。
東北では3・11の2日前の3月9日にプレート境界でM7・3の前震が発生した。佐藤教授が東北と北海道の類似性から期待するのが、巨大地震発生の推測だ。「東北の経験から、うまくいけば『あと3年』とか言えるかもしれない。プレート境界でM7が起きたりすれば、緊急アラームを出しても良い」と考える。
そのために必要だと訴えるのが、海底の地殻変動などの観測態勢の強化だ。「北海道の観測はまだまだ足りない。地殻変動の装置を埋めるにしても、地震の前にかなり安定して計っておかないと微妙な変化は分からない。一刻も早い観測強化が必要」と話す。
震源域は千島沖に及ぶため、ロシアとのデータ交換も必要と訴える。「今の時点で3年後とか10年後は言えないが、結構危ないかもしれない。東北の場合は2003年に内陸地震が始まって8年後だった。分からないのが前提だが、非常に切迫している可能性も考えておかなければ」
◆アウターライズに懸念
3・11前の現象だけでなく、佐藤教授は超巨大地震の発生後の動きにも注目する。東北太平洋沖地震では、富士山や長野県栄村などで誘発地震が起き、1カ月後の4月11日には福島県いわき市でM7・1が発生している。
「いったん大きいのが起きると、陸側プレートは力が解放される。だが海側にたまっているものは逃げない。逆にきっかけになる」。今年の2月13日に福島沖を震源に震度6強を観測した地震も、太平洋プレート内を震源とする「スラブ内地震」で、こうした余震は今後も頻発化し、しばらくは起きるとみている。
そして、最も懸念するのが「アウターライズ地震」だ。境界型地震に続いて、沈み込む前の海洋プレート内で発生する地震で、揺れは比較的小さいが、浅い位置で起きるため大きな津波が生じるとされる。
明治三陸(1896年)では、37年後にアウターライズの昭和三陸(1933年)が起きている。佐藤教授は「とにかくひずみがたまっている。長い余震とアウターライズで一段落するまで30年くらいでしょう。少なくとも10年では終わらない。北海道でも一度事が起きるとそうなることを用心しておかなくてはいけない」と話す。
◆求められる社会ビジョン
必ず来る巨大地震にどう備えるべきなのか。佐藤教授は港湾を強化するなど一定程度のハード面の対策は必要とし、住民が避難方法を正しく理解することも大切だと語る。その上で、「地域としてどういう方向で生きていくのかが主題になるのではないか」と投げかける。
すべての対策を取るには財政的限界があり、とてつもなく高い堤防を作って生活することが良いのかという問題もある。「何を守って、何を捨てるかという整理をしないと国として成り立たない。土地利用も含め、どういう社会にするかのビジョンがなさ過ぎる」と現状を憂う。
「ビジョンがないと復興プランなんて容易ではない。復興プランがないということは防災プランがないに等しい。事の本質は社会のあり方をどうするか。100年後の十勝平野をどうしたいのかということです」