大樹航空宇宙基地構想

HISTORY 大樹町の歩み

北海道経済連合会副会長増田 正二氏

  • 1.経済界が航空宇宙基地構想に期待する理由〈0:00〉
  • 2.今の宇宙政策の動きと北海道や十勝の対応〈3:16〉
  • 3.構想実現に向け、地元に必要な取り組み〈4:21〉
  • 4.道経連が果たしていく役割〈6:43〉

 大樹における航空宇宙基地の整備実現は、北海道の経済界も大きな期待を寄せている。ロケット射場をはじめとする周辺の社会資本整備が、地域経済にかつてない大きな波及効果をもたらすと見込まれるためだ。道経連副会長の増田正二帯広信金理事長(67)に経済界の期待感や、実現に必要な地域の取り組みなどについて聞いた。

経済界が航空宇宙基地構想に期待する理由は

 射場の建設や周辺の社会資本の整備で、莫大なお金が北海道・十勝に投じられるだろう。当然、骨材や人的資源も投下される。公共工事が少ない中、ここに地元業者が関わることができれば仕事や雇用の機会が生まれ、地域活性化の起爆剤になる。基地完成後も設備を維持するための雇用も見込まれ、周辺の人口増が期待できる。
 港湾や陸路などあらゆる社会資本が整備される意義も大きい。流通や輸送の拠点となる道路や港湾の整備が進むだろう。高速道路の広尾延伸、その周辺道路の整備も促進されるのは間違いない。
 さらに、射場を含む基地設備は、観光資源としての利活用が見込める。ロケット打ち上げ時に観光客が大勢詰めかける鹿児島の現象が、ここ十勝でも起きることは容易に想像がつく。射場が立地する大樹ばかりか、その周辺の十勝全体で飲食や宿泊施設などでビジネスチャンスが広がる。
 地元金融機関のトップとしても、ここに大きな期待を持っている。地方が疲弊して元気の出ない時代、宇宙基地構想というのは極めて夢のあるプロジェクトだ。地域に勇気を与える十勝らしい壮大なテーマだ。

今の宇宙政策の動きと北海道や十勝の対応をどう受け止めるか

 国の宇宙政策はかつてないほど活発だ。近年は大樹町多目的航空公園への視察が相次ぐ。9月には超党派の国会議員で構成された衆院内閣委員会、10月には自民党政務調査会宇宙総合戦略小委員会の「宇宙法制に関するワーキング・チーム(WT)」座長の寺田稔衆院議員が訪れたばかり。われわれが考えている以上に、中央の動きは早いという印象がある。
 一方で北海道、十勝を含む地元の動きは、まだ緒に就いたばかり。北海道や十勝は必ずしも統一の意思で協調しているようには感じられない。国の動きを踏まえると、決してのんびりしていられない状況だ。

構想実現に向け、地元に必要な取り組みは

 北海道・十勝が一丸になり、航空宇宙基地の整備実現という強い機運を持たなければ実現しない。まずは、北海道・十勝にこのプロジェクトを運営していく促進期成会のような受け皿を早急に作らなければならない。機運を高める過程で発生するコストを拠出する役割を担う部分も必要だ。
 整備実現の波及効果は裾野が広い。隅々まで効果を波及させるためにも、北海道・十勝一丸の取り組みが必要だ。北海道や十勝の自治体はもちろん、経済界なども連携し、整合的に進めていく必要がある。そのためにもプロジェクトを運営する組織体の在り方は、公共部門がグリップを握るのも大切だ。ただ、何でも公共にお任せというわけにはいかないので、オール北海道、オール十勝で考えていく必要がある。
 実現の可否には政治力が働くことを考えれば、地域における熱意の醸成が、まず求められる。熱意がなければ決定権者に何も伝えることができない。易々と向こうからやってくるものではないからこそ、スピード感を持って機運作りを進めなければならない。

道経連はどんな役割を果たしていくか

 道経連は、1985年に北海道航空宇宙産業基地研究会議が設立された当初からのメンバーで、97年から2002年の北海道宇宙科学技術創成センター(HASTIC)設立までの間は事務局の役割を担った。その活動は中央省庁への要望や、道への働き掛けが中心だ。近年は、「技術開発拠点形成につながる新射場の整備」に関わる活動を活発化させ、重点取り組み事項として2カ年続けて国・道への要望項目に組み入れた。実現可能性が高く、具体的な効果が期待できるプロジェクトであり、今後も取り組みを続けていく。
 この構想は、十勝の歴史の中でも3本の指に入るビッグニュースだ。かつてこれほど大きな可能性を秘めたプロジェクトはなかった。しかも宇宙だ。こんなに夢のある取り組みは他にないだろう。まずは地域で実現を強く願い、エネルギーと行動に変えていかなければならない。

増田 正二 氏(ますだ・しょうじ)

1948年新得町生まれ。新得高卒。66年帯広信用金庫入庫。常勤理事本店長、常務理事を経て2007年6月から現職。14年6月から道経連副会長。

HASTIC特任理事伊藤 献一氏

  • 1.日本の宇宙政策はどのように変わってきているのか〈0:00〉
  • 2.宇宙の実利用を進める上での課題は〈2:47〉
  • 3.新計画では、新たな射場整備の方針も示された〈6:24〉
  • 4.新射場の整備候補地に大樹が上がっている〈9:50〉
  • 5.大樹で新射場整備が実現した場合の効果は〈14:06〉
  • 6.実現に向けて地元が進めるべきことは〈17:25〉

 国は、今年1月に策定した宇宙基本計画(2015〜24年)で宇宙の実利用を積極推進する姿勢を打ち出した。この中には、国内で新たな射場の整備を検討することも盛り込まれ、宇宙研究の北方拠点・大樹で整備実現の期待が高まっている。NPO法人北海道宇宙科学技術創成センター(HASTIC)の伊藤献一特任理事に、日本の宇宙政策の動向と大樹の関わり、整備実現に向けた課題などについて聞いた。

日本の宇宙政策はどのように変わってきているのか

 これまで日本の宇宙政策は科学技術の研究が主軸だった。だが、近隣諸国や社会の情勢は大きく変わってきた。時代に合わせ、宇宙をもっと生活に役立てる方向に進める必要性が考えられるようになってきた。
 たとえば、生活を守る点では安全保障であり、日常生活への活用では全地球測位システム(GPS)や衛星情報の利用だ。宇宙基本計画ではこの姿勢が明確に打ち出された。
 他国との対等な関係を保つため、実利用の推進に迫られていた面もある。実は、日本の衛星は諸外国のものに比べ、情報収集能力が低い。このため、情報を相互提供する関係の中でアンバランスが生じていた。高度な衛星情報を他国と同等に提供するには、いち早い実利用が求められていた。

宇宙政策の実利用を進める上での課題は

 日本では衛星の打ち上げに100億円単位のお金が必要になる。世界には、他国のロケットで衛星を打ち上げるニーズがあるのに、費用が高額なため顧客がつかなかった。日本で宇宙産業のマーケットや商業利用がほとんど閉ざされてきたわけだ。
 日本のロケットは技術的に非常に優秀だからこそ、高額なコストの課題を解決しなければ。打ち上げるチャンスを増やすため、安いロケットを開発し、安く打ち上げる技術を確立する必要がある。その意味では、新計画で宇宙を実利用する姿勢を打ち出したことは、大きな一歩と言える。
 計画では、宇宙産業分野に民間の自主参入を促すことも明記している。そのための法整備の検討も今、進んでいる。さらに、宇宙産業を構築するため、他国との間で衛星情報をどれだけオープンにするか、どれだけ管理するかの線引きをしなければ。宇宙分野での法整備も併せて進めることが必要だ。

新計画では、新たな射場整備の方針も示された

 もともと北海道は、種子島に宇宙センターができる当時から候補だった。赤道の上に衛星を載せるためには、できるだけ赤道に近い所からロケットを発射する方が効率的だ。日本の国土の中で、出来るだけ南ということで種子島が選ばれた。気象衛星などの静止衛星を打ち上げるのは種子島が最適で、これからも使っていかなければならない。
 一方、地球の情報を細かに取ろうという時代になった。高性能のカメラやセンサーを搭載する方法もあるが、より地球の近くに衛星を回そうという話も出ている。静止衛星は表面から3万6000㌔も離れているため、高性能カメラでも限界があるためだ。
 地表から250〜400㌔の位置で、しかも日本の国土の上を衛星が通るようにするには、地球を南北に回る「極軌道」に衛星を載せる必要がある。そのためには、南にロケットを打ち上げることができる射場を整備する必要があるとの議論が出てくるのは当然だ。

新射場の整備候補地に大樹が上がっている

 大樹は安定した地盤がある。さらに、国内の海岸で南北に打てるところはいくつもあるが、周りに民家が少ないところは非常に限られている。さまざまな候補地の中でも、大樹は周りに住民が少なくて安全な場所と言える。発射できる可能性のある角度が広いという点でも優位性が高い。
 これまで国は、北海道に作るという話を一度もしていない。ただ、向こう10年で新射場の在り方を検討し、一部政治家が「北に作るべきだ」との発言もある。今後、在り方が大筋決まれば、どこが最適かという話になる。「北海道が一番いい」となるのはかなりの確率である。
 世界で宇宙国といわれる国は複数の射場を持ち、その時の情勢によって打ち上げ場所を変えている。日本が宇宙政策を推進し、宇宙を通じた国際貢献をするには今のままでは間に合わない。日本の技術を育てていくため、国際競争という市場で勝負を掛けるためにも、北海道を射場にするのが好ましい。

大樹で新射場整備が実現した場合の効果は

 自然に恵まれた大樹で整備が実現すれば、自然と最先端の宇宙が組み合わされた地域になるだろう。ロケットの打ち上げは、全国からたくさんの人をこの地に引きつける。打ち上げがなくても、人を引きつける。道東の大きな観光資源になるのは間違いない。
 それに、すでにロケット開発のベンチャー企業が大樹にあるように、実現すればこの先、大樹を拠点にしようという企業の進出があり得る。研究機関も同様で、国が大樹で新たな研究を推進することも考えられる。

実現に向けて地元が進めるべきことは

 大金を投じる事業となるが、国も借金だらけ。それでも北海道で整備を実現するには、地元としてどれだけ成長の未来像を描けるかが重要だ。いろんな産業や観光、新しい射場を活かす地元のアイデアがどれだけあるかということだ。知恵を絞り熱意を傾けていかなければならない。

伊藤 献一 氏(いとう・けんいち)

1939年札幌生まれ。小学1年生の1年間、稲田小学校に通った。北大工学部機械工学科、北海道大学大学院工学研究科卒。自動車のエンジンやボイラーなど火を使ってエネルギーを取り出す燃焼工学が専門。無重力状態での燃焼、宇宙での火災安全性も研究した。2003年3月に定年退官し、同年4月から名誉教授。HASTICの立ち上げ時に副理事長、7年前から今年の総会まで理事長、現在スペースポート特任理事。スペースポート研究会事務局長。

大樹町長酒森 正人氏

  • 1.実現を目指す宇宙基地とは〈0:00〉
  • 2.宇宙基地実現でどういった貢献が可能か〈3:26〉
  • 3.大樹への視察者も増えている〈5:24〉
  • 4.今後の航空宇宙の取り組みは〈10:52〉

 航空宇宙関連の実験が毎年行われ、ロケット開発の民間企業も設立された。先人の地道な取り組みが徐々に実を結び始めている中、国も宇宙産業の振興に力を入れ関係者の視察も相次いでいる。大樹町の夢「宇宙基地」実現への期待が膨らむ中、今年から新たに「宇宙町長」となった酒森正人氏(56)は今後をどう展望しているのか、思いを聞いた。

実現を目指す宇宙基地はどのようなものか

 航空宇宙の取り組みを進めて30年になり、いろいろなことに取り組んできたが、ここにきて北海道スペースポート計画が定まり、大樹に航空宇宙の多目的飛行センターを作ろうという話が持ち上がっている。
 多目的航空公園の1000メートルの滑走路を4000メートルまで拡大し、将来的に進むであろう航空宇宙の飛行体、ロケット型や再利用できるようなサブオービタル型の宇宙飛行機の開発を行う。エンジン開発など各種航空機の飛行訓練も行える基地にする計画で、実現すべく取り組んでいる。
 当面は滑走路を使った研究、実験施設の設置を目指すが、計画には射場を作るということもある。国でも現在、宇宙基本計画で新たな射場が検討されている。日本には鹿児島県の種子島と内之浦の2カ所に射場があり、長く日本の航空宇宙の取り組みをリードしてきた。鹿児島が進めてきた航空宇宙の取り組みを補完するという意味で、北にも航空宇宙基地があることは、バランスを考えても、日本の航空宇宙の在り方に貢献できる思う。

宇宙基地実現で大樹や十勝、北海道、国にどういった貢献が可能か

 計画が実現すれば、この地域に大きな産業が興る。大樹町だけでなく、十勝、北海道に大きな影響がある。
 大樹町はすぐ近くにとかち帯広空港、隣町の広尾町では重要港湾である十勝港もある。航空宇宙基地ができれば、そういうところの利活用もさらに進み、物流でも大きな貢献ができる。
 今でも年間4000人近くの研究者、学生が大樹に来ている。そういった皆さんには小・中学校、高校を問わず、教育現場でいろいろな貢献をいただいている。これが今後増えれば、教育関係に関する貢献も十勝、北海道全体で享受できる。
 内之浦で打ち上げられているイプシロンロケットは、見学する観光客が2万人規模で集まるという。計画が実現すれば、観光でも大きな力がある。

大樹への視察者も増えていると聞く

 本当にここ1、2年、多くなっている。それも道内ではなく、道外からの視察が増えてきた。昨年からは、国の航空宇宙に関係する国会議員の方々が視察に来ていただける状況が続いている。
 今年は府県の議会が、9、10月には内閣府の国会議員10数名が、自民党で航空宇宙関係で大変大きな役割を担っている寺田稔衆院議員にも来ていただいた。大樹は小さな町ではあるが、今までにないことで、本当にありがたいし、重要なことだと思っている。
 視察者の見送りのときには、非常に面白かったし、興味のある話だと言ってくれる。ただ、大樹がこういう取り組みをやっているということをご存知なかった。「しっかりPRした方が良い」「大樹町の役割は大きなものがあるので、いろんな人に理解してもらうのが計画実現のきっかけになる」という言葉もいただいた。そういう意味も含めて意を強くして取り組みたい。
 国は地方創生で地方版の総合戦略策定を求めている。大樹町も策定に向けて中身を検討している。内閣府の国会議員の方々から、「地方創生は、今後この地域をどうしていくかという、夢を含んだ総合戦略が必要。大樹町は大きな夢を持っているのだから、しっかり戦略に盛り込んだら良い」とアドバイスもいただいた。総合戦略の中で可能なものは計画に盛り込んでいきたい。
 総合戦略に関しては、雇用創出につなげられる可能性は大きい。今は研究の場がメーンだが、産業の場として、特に民間の航空宇宙産業の拠点の場ということが可能ではないかと思っている。現在、インターステラテクノロジズという会社が大樹町に工場を置いて活動している。おそらく、民間でのロケット開発では国内最先端を走っていると思うが、社員の方も含めて10数名が大樹に住んでいる。数年で会社を大きくしたいという気持ちで活動しているので、大樹に1人でも多くの雇用が生まれ、住んでいただけるような活動になればと思っている。大樹町としても宇宙の産業をやりたいと思う人が来れば町としてできるかぎり支援したい。
 アメリカで民間のロケット開発が進んでいる地域はシリコンバレーのように小さな会社が核となって、そこにいろいろな関係する会社が集まっているという。そこも大都市ではなく、大樹のような田舎。大樹町も航空宇宙の取り組みの核、拠点になればと思っている。

今後の航空宇宙の取り組みをどのように進めるか

 国が進めている鹿児島を中心とした航空宇宙の取り組みは揺るぎなく進んでいくと思う。宇宙基本計画では、ここ8年間でイプシロンを10発打ち上げることになっている。そうであれば、既存の種子島と内之浦の射場では大変タイトなスケジュールになる。民間の航空宇宙の取り組みが、今の日本の射場に入っていけるような施設の余裕は生まれないだろう。民間の取り組みは大樹町で実現できるような、そういう場になればなと思っている。
 今まで30年進めてきて、これからは大樹町の取り組みが一段階上がっていくと感じている。より具体的な、高い段階に上り詰めていくようなところ来ているのかなという思いがある。
 オール北海道で計画を進めていけるような組織づくりが必要だと思っている。大樹町の思いを十勝・北海道の思いとして伝えていけるような活動が求められている。北海道全体の声を見える形にして、航空宇宙基地の誘致を進めていくということが大切と思っている。

酒森 正人 氏(さかもり・まさと)

1959年大樹町生まれ。大樹町長。大樹高卒。79年に同町役場入り。民生課を振り出しに、町教委学校教育課学校教育グループ、農林水産課長を経て、2011年から副町長。15年4月に初当選を果たした。

前大樹町長伏見 悦夫氏

  • 1.宇宙構想が持ち上がった経緯は〈0:00〉
  • 2.聞いた時の印象は〈1:33〉
  • 3.苦労したことは〈3:38〉
  • 4.誘致活動が始まった〈6:20〉
  • 5.印象に残っているのは〈8:09〉
  • 6.民間の動きが出てきた〈11:05〉
  • 7.今後の構想は〈14:44〉

国内航空宇宙開発分野で北の拠点として知られる大樹町。夢とロマンに満ちた宇宙開発をまちづくりの柱の1つに掲げて30年、さまざまな実験を誘致し、実現させてきた。大樹の宇宙構想を推進し、現職時代に「宇宙町長」と呼ばれた前大樹町長の伏見悦夫氏(75)にこれまでの歩みを聞いた。

大樹で宇宙構想が持ち上がった経緯は

 1980年代半ば、道が21世紀に向けた21項目のプロジェクトを立ち上げ、その1つが航空宇宙産業基地構想だった。当時、鹿児島県・種子島で打ち上げられていたH1ロケットの搭載重量は最大5トン。将来的にこれが10トン、20トンと増えると、種子島規模の射場では対応できなくなる。そこで立地に恵まれた北海道が調査・研究を進めようとなった。大樹を含む道内の複数自治体が手を挙げ、太平洋沿岸部で何かできないかと構想が打ち上がった。

大樹で構想を進めると聞いた時の印象は

 当時、町開発振興課長で企業誘致やまちの開発振興を担っていた。当時の町長から構想の話を聞いたとき、「え? ロケット?」と驚かされた。ロケットは外国で打ち上げるもの、種子島の存在すら詳しく知らないというのが当時の認識だったからだ。
 ただ、ロケットは、地球の自転の関係で真東に打ち上げた方が良く、道東の大樹はその条件を満たす。気象条件もよく、近くに重要港湾の十勝港(広尾)ととかち帯広空港(帯広)があり、十勝の母都市で産業都市の帯広にも近い。条件が整っていただけに、「これは面白いことになりそう」ということになった。
 その後は、航空宇宙を猛勉強し、米国にも視察に行った。大きな波及効果が出るだろうと夢が膨らみ、のめり込んだ。北海道、十勝、大樹でそれぞれ研究会が発足し、道庁や経済界を巻き込み始めた。十勝圏も全市町村が応援してくれた。地元では漁業者の理解が大きな力になった。皆さんの支援をもらいながら進めて来られた。

中央の宇宙開発や産業界の中枢で大樹の知名度がなく、苦労したのでは

 当時の科学技術庁や航空宇宙技術研究所、宇宙科学研究所などに出向いても、最初は全く相手にしてもらえなかった。わざわざ何しに来たのと。名刺交換もしてもらえず、訪問は「はい、ご苦労さん」で終わっていた。
 野口武雄町長と私が何度も科学技術庁に通っていると、「北海道の知事と副知事は熱心ですね」と言われたことがあった。野口町長を知事、私を副知事と誤解していたのだが、3年ほど通い詰めてようやく名刺を受け取って、話を聞いてもらえるようになった。顔なじみになってからは様々な情報をもらえるようになった。今では当時の若手が上層部に就いている。人のつながりが大きな力になった。
 87年には国内初の宇宙少年団国際宇宙移動大学夏期ジャンボリーを開催し、宇宙と関係する科学者や大学教授、学生ら数百人が大樹に集まった。天体や惑星など航空宇宙の幅広い分野で活躍する識者ばかりで、旧・宇宙開発事業団(NASDA)からは部長クラスが来てくれた。ロシアや米国、カナダなどから大勢の外国人が来たのも開町以来、初めてだった。来町者は町内の一般家庭にホームステイし、町民が事業を盛り立ててくれた。航空宇宙関係者との人脈が構築できたことも併せ、大変意義深かった。

多目的航空公園を整備し、本格的な実験の誘致活動が始まったが

 総合計画に公園整備をしっかり位置づけ、実験誘致も進めた。町内の航空宇宙構想研究会を中心に、多くの町民の理解と支援、賛同によって私たちも動きやすかった。大樹、広尾、大津の3漁協の協力は大きく、大気球実験では、海上に落下した気球の回収に力を貸してくれた。
 もちろん、構想を進める上で周囲が全て賛成という訳ではなかった。「いつできるかも分からない」と自分の親から言われたこともあった。それでも、ずっと進めてこられたのは、多くの支援があったから。

数多い実験の中で、特に印象に残っているのは

 無人宇宙往還プロジェクトの日本版スペースシャトル「HOPE」の小型自動着陸実験(アルフレックス)。中央の役所の協力や意向を踏まえ、思い切って公園内に顛圧滑走路を整備したものの、突然、実験場所が大樹からオーストラリアに移ってしまった。記者発表の時期について調整していた段階だったのに、突然、国から変更を伝えられた。この実験の誘致をメーンに据えて取り組み、準備を整えてきたので、とにかくショックだった。これでいよいよ終わりかとも思った。
 ただ、自動着陸の実験自体は、後に宇宙研などが大樹で行ってくれた。ドルニエという飛行機が顛圧滑走路に着陸したときは、本当にうれしかった。アルフレックスの一件で落ち込んだが、次のステップを目指そうという強い気持ちを芽生えさせてくれた。その後、成層圏プラットフォームや大気球実験が行われ、一気に施設類が整備された。大樹の宇宙が全国的に広がっていった。

最近、国の宇宙政策が変わり、民間の動きも出てきた。
大樹におけるロケット射場整備構想や産業集合体への活動も始まっている

 全国をみても環境が整った実験場は大樹しかない。その中で、国の機関だけでなく、堀江貴文氏ら民間サイドや国内大手メーカーも大樹で独自実験を重ねており、ここから何か芽が出てくることが期待される。
 無人輸送船「こうのとり」が国際宇宙ステーションへの物資補給に成功した例があるように、日本の宇宙開発の国際的評価も変わってきた。日本の宇宙開発は米国などから30年遅れていると言われてきた。それだけに今後、国は複数に分かれている機関を1つにまとめ、しっかりと進めてほしい。

大樹で射場整備の構想もありますね

 国内に射場の数は1~2カ所では足りず、北にも射場が必要だ。特に、極軌道の場合、北から打ち上げるとコストがかからないというデータもある。条件的に言うと、道内の整備候補地は大樹しかないと思っている。
 射場整備の調査費が国の予算に付いているが、今後どのような形で調査研究されるか大変興味深い。道も積極的な姿勢をみせており、大樹をメーンに条件をアピールしながら、国に要請していってほしい。
 大樹は酪農に代表される一次産業のまちだった。だが、航空宇宙事業という大きな夢が育っている。最近、地元の子供たちが描いた宇宙の絵の中に、宇宙ステーションで酪農をしている光景を描いたものもあった。最初はほとんどの子供たちがロケットの打ち上げを描いていたことを考えると、子供たちの夢も着実に膨らんでいる。夢のあるまちづくりを大事にしていかなければならない。

伏見 悦夫 氏(ふしみ・えつお)

1940年9月3日大樹町生まれ。前大樹町長。大樹高校卒。北海道漁港漁場協会会長。北海道酪農振興町村会議会長。1958年に大樹町役場入り。91年から総務部長。95年から助役。1999年に初当選、4期と務めた後、15年に引退した。

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