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樺太の集団自決 ケイセイ社員3人が看護師17人の命救う 本で明らかに

「当時の社員が人命救助に貢献していたと知って驚いたし、感動した」と本を手に話す佐野会長

 飼料販売や木材加工販売、森林整備などの「ケイセイ」(帯広市、高桑裕次社長)の社員が、終戦直後の樺太で集団自決を図った看護師たちを救助していたことが、8月20日に出版された本で詳しく紹介されている。創業者の孫の佐野公彦会長(68)は「祖父らが樺太から苦労して帰国したことは聞いていたが、この話は初耳だった。先人の行動に感動した」と話している。

 詳細が描かれている本は「彼女たちは、なぜ、死を選んだのか? 敗戦直後の樺太 ソ連軍侵攻と女性たちの集団自決」(川嶋康男著、敬文舎)。

 ケイセイは、創業者の佐野恵策さんが1924(大正13)年、樺太の恵須取町で立ち上げた佐野造材部が発祥。その恵須取町が悲劇の舞台となった。

 本によると、45年8月17日、樺太へのソ連軍の侵攻を受け、現地で避難を続けていた大平炭鉱病院(恵須取町)の看護師23人は「もう逃げ場がない」とあきらめ、腕の静脈を切るなどして集団自決を図った。佐野造材部の社員3人が異変に気付いて現地に駆け付け、腕を血で真っ赤に染めて横たわる女性たちの救助を行った。すでに6人は息絶えていたが、残る重軽傷者17人の命を救ったという。

 救助者の鳴海竹太郎さんと生存した看護師の片山寿美さんは北海道に引き揚げた後に結婚。その次男鳴海修司さんは現在、日高管内新冠町の町長を務めている。

 著者でノンフィクション作家の川嶋さん(72)は鳴海町長に取材するなどし、真実に迫った。加えて、佐野造材部創業メンバーの一人、深澤吾郎さんが書いた自費出版本(91年)にも目を通し、当時の状況を克明に書き記している。

 川嶋さんは「看護師たちは佐野造材部の農場事務所横に荷物を置いて、近くの小高い丘で自決を試みた。荷物に気付いた佐野造材部社員の迅速な判断が多くの命を救った」と話す。

 佐野会長は「祖父は誠実で地域の人のために尽力した人物だったと聞いている。それが当時の社風としてもあったのでは」と推察し、「多くの人の目に触れる本でケイセイの社員について書かれていることはうれしく思う」と話している。

 同社は2年後に創業100周年を迎えるため、記念誌の作成を進めている。佐野会長は「記念誌には77年前の人命救助についても盛り込みたい」とし、明らかになった歴史の一ページを加える考えを示している。(松村智裕)

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