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荒土美術会が60余年の歴史に幕 最後の展覧会14日まで市民ギャラリーで

第55回展を迎えた荒土美術会。前列左から2人目が村上会長

 十勝管内の教職員やOBでつくる荒土美術会(村上俊彦会長、会員13人)が、1960年から続いてきた長い歴史に幕を下ろす。十勝の美術界をけん引してきた同会の活動は、地域の文化芸術の発展に大きな財産を残した。帯広市民ギャラリー(JR帯広駅地下)で14日まで、最後の展覧会「荒土会展」を開いている。(牧内奏)

 1960年9月、「美の探究を志す教職員の画会」を結成すべく、故武田伸一さん、故富久尾豊さん、大戸秀夫さん、熊代弘法さんで話し合いがもたれた。同年12月11日に帯広小で総会が開かれ、十勝帯広の文化、教育に寄与することを目的に、管内の教職員らで同会を創立した。初代会長を故安達大元さんが務め、会の名称は、前衛書団体・奎星会おびひろ元代表の故加藤雄次郎さんが命名した。

 翌61年3月末、第1回の荒土会展を旧十勝会館で開催。当時、会員21人の大半が20代の若手教員。活気もあり、回を重ねるたびに会員が増えていき、創立から6年後には倍の40人に。札幌で移動展を開催するなど、帯広を飛び出た活動も盛んに行われていった。

 しかし、創立から25年たち、中枢を担っていた会員らは校長や教頭職に。本職が忙しくなり、会の運営が困難となった。同会は85年から9年間の休会となる。

1974年に藤丸で開かれた第16回展

 活動再開が実現したのは、休会を決めた当時会長だった故園部信二さんの尽力によるところが大きい。園部さんは校長を退職後、かつての会員らに呼び掛けて再開の賛同を得た。これまでは現役教員のみで構成していたが、退職者も含めた規約に改正。個々の作品を批評し合い、激論を戦わせた切嗟琢磨(せっさたくま)の場から、生涯学習を目的とした生きがいの場へと変容した。小品展を重ねながら、94年に会員22人で開催した第27回展が正式な活動再開となった。

 その後、同会は移動展や小品展も含め数々の展覧会を開催。会員も20人前後で推移していたが、2014年ごろから少しずつ減少。現在は会員13人の半数以上が80歳を超える。高齢化や美術教員の採用人数がかつてより減っている現実から、「これ以上は活動が困難」と判断し、解散の結論に至った。

 同会の歩んだ道のりは平たんなものではなく、追い打ちを掛けるように、この2年間は新型コロナの影響を受ける。今回の展覧会は3年ぶりにして、最後のお披露目の場となった。
 第2回展から出品し、18年から第7代会長を務める村上会長(83)=清水町=は「全盛期のころ、合評会は厳しい意見も飛び交い、一方で先輩や同年代がどのような作品を作ってくるのかがとても楽しみだった」と当時を振り返る。活動を続けてきたことをかみしめるように「絵を描くことが好きということと、仲間がいたことが原動力になった。会に育てられて、今の自身につながっている。すべてが財産だ」と話した。

会員の48点を14日まで展示
 第55回展は会員の油彩画や水彩画、日本画、切り絵など48点が並んでいる。搬入作業が8日に行われ、展示後の最後のギャラリートークでは、会員らは互いの作品の良いところや、長年見てきた作者の変化などを味わっていた。

 展示は14日まで。午前10時~午後6時(最終日は午後4時まで)。

関連写真

  • それぞれの作品を鑑賞するギャラリートーク

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  • 20周年の節目に藤丸で開かれた第22回展(1980年)

    20周年の節目に藤丸で開かれた第22回展(1980年)

  • それぞれの作品を鑑賞するギャラリートーク

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