震災8年~被災地は今「原発20キロ圏内 南相馬市・浪江町ルポ」
太陽光財源に
震災前約1万3000人が暮らした小高区の人口は現在、約3100人。三浦さんも震災前は区内の井田川地区で農業を営み、アイガモ農法や低・減農薬栽培で米や野菜を作っていたが、海に近い集落と農地は津波にのみ込まれ、その後の原発事故で長く立ち入れない日々が続いた。
避難指示は2016年7月に一部解除されたが、海に近い低地は災害危険区域に指定され住宅再建は制限される。...
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関連写真

三浦さんの田畑があった井田川地区。津波に襲われて何もなくなった土地に重機が動いていた。

住宅は建てられないためトレーラーハウスを活用した三浦さんの事務所

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浪江町の請戸漁港

津波被災地

津波被災地

津波で倒れたガードレールがそのまま残る

津波被災地

福島第1原発にほど近い浪江町の帰還困難区域のゲート

新設された浪江町の教育施設。後方が「浪江創世小・中学校」

浪江町の復興住宅

荒廃したまま放置されている浪江町の商店街