十勝沿岸4町に緊張、避難所で夜明かす住民も 青森県東方沖地震
【広尾・大樹・豊頃・浦幌】青森県東方沖地震に伴い北海道太平洋沿岸にも津波警報が出された8日夜、十勝沿岸4町でも住民に緊張が走った。9日未明には避難指示が解除されたが、避難所で夜を明かす住民の姿も見られた。(松岡秀宜、澤村真理子、近藤周、貞野真生)
51人が避難、避難専用施設のしおさい荘 広尾
広尾町では警報発令直後から町民らが十勝港展望台に駆け付け、津波到達予想時刻の9日午前0時前には30人以上が集まった。港の岸壁そばにある農協サイロ十勝港事業所の笠井雅之所長(58)は、「このまま何もなければいいが…」と岸壁を見詰めていた。
住民自ら誘導「スムーズに」
町は音調津地区の避難専用施設(しおさい荘)など3カ所に避難所を開設。最大59人が避難した。
51人が避難したしおさい荘では、自主防災組織・音調津自主防災会や、同地区の女性防災クラブのメンバーが、津波警報が発令された7月のロシア・カムチャツカ半島沖地震と同様に、率先して避難所の運営に当たった。
音調津地区の男性は漁師が多く、地震直後から船の沖出し作業に追われた。このため、しおさい荘では女性が中心となり、パーティションの設置や段ボールベッドの準備など、避難者受け入れの態勢を整えたという。
しおさい荘では9日午前8時前から、避難所閉鎖で一度は帰宅した女性防災クラブや自主防災会のメンバーら約15人が再び集まり、片付け作業を行った。ただ、「北海道・三陸沖後発地震注意情報」発表への備えとして、設置したパーティションや段ボールベッドはそのままにした上で、ごみ出しなどの最低限の作業にとどめた。
音調津のしおさい荘の片付け
自主防災会会長の上野雅彦さん(74)=広尾町消防団音調津分団長=は「消防団や地域の住民が、独り暮らしの人や移動手段がない人を車で避難させるなど、初動はしっかりできた」とし、「住民連携がスムーズに行われ、地域の防災体制も機能したが、今後、何もないことを祈るばかり」と話す。
町コミュニティセンターに避難し、テレビのニュースを食い入るように見詰めていた島崎むつ子さん(69)は「自宅は津波が来る場所。着の身着のまま、息子2人と逃げてきた」と心配そうに話した。
町は津波警報が津波注意報に切り替わった9日午前2時45分、避難指示を解除し、災害対策本部を解散した。北海道・三陸沖後発地震注意情報が発表されているため、避難所をすぐに設置できる態勢を維持するなど、今後の発生に備えた対応を継続するという。
駐車場の車中で待機する人も 大樹
大樹町は8日午後11時半に町役場に災害対策本部を設置し、避難指示を発表。中島地域コミセン、歴舟地域コミセン、晩成行政区会館に避難所を開設し、合わせて最大約30人が避難した。
約20人が避難した歴舟地域コミセンでは、避難スペースや集会室の計3室に簡易的なマットを敷いた。9日午前1時半ごろには消灯し、避難者は就寝。駐車場の車中で待機する人もいた。
歴舟コミセンの駐車場で待機する人々(9日午前2時ごろ)
同2時45分に津波警報が注意報に切り替わり、避難指示を解除。3避難所は同6時15分までに閉鎖し避難者は帰宅。災害対策本部は6時15分に閉鎖した。
町は北海道・三陸沖後発地震注意情報の発表を受け、ホームページや町内放送での呼び掛けを行っている。現段階では「町民の不安をあおらず、出ている情報の周知に努めている」(町総務課)とする。
える夢館で51人過ごす 豊頃
豊頃町は8日午後11時半に災害対策本部を立ち上げ、大津、長節、湧洞の沿岸3地区に住む160世帯307人に避難指示を出した。日付が変わり、国道336号など津波避難場所に避難した住民も役場職員の指示で避難所の町える夢館に移動。ホールに設置した簡易テント約30基には簡易ベッドや毛布を用意し、2階の和室には布団を敷いて避難者を受け入れた。
避難者には水とパンが配られ、9日午前1時半すぎには消灯して、避難者はそれぞれ眠りについた。午前2時10分までの避難者数はえる夢館に50人、大津コミュニティーセンターに2人だった。
える夢館に避難した大津小学校長の小副川浩さん(55)は「ゆーらゆーらと長い横揺れで驚いた。(8日)午後11時半ごろに町の避難呼び掛けの放送が流れたのを聞いて避難した」という。「(大津は)津波からの避難への意識が地域として高く、何かあったら動けるようにしている人も多い。ただ、避難がいつまで続くのか-早く帰れるといい」と話した。
大津地区に住む今廣文さん(72)は、ちょうどトイレに立ったときに地震が発生。就寝していた妻の洋子さん(70)も起きだし、津波注意報が警報に切り替わったのをテレビで確認して、隣人を車に乗せて避難した。緊急避難場所を回った後、午前1時ごろ、える夢館に到着した。「前日に雨が降ったことで路面状況が悪く、凍結している所もあって怖かった。ゆっくり運転して避難所まで来た」と話す。「ここ(える夢館)まで来れば安心。外にいても寒くないよう暖かい格好をしてきたので、毛布があれば眠れる」と話し、簡易テントの中で就寝した。
町える夢館では51人が過ごし、津波警報が注意報に切り替わった9日午前2時45分に避難指示が解除されるとともに帰り始める人もみられた。午前7時時点で、7人が残った。小学生の息子2人と避難した三宅育美さん(41)は、車のガソリンも少なかったため、緊急避難場所を経ずに毛布を積んで真っ直ぐえる夢館に避難した。「すぐに入れたので良かった。眠れませんでした。個人的な予定があるのでそれがどうなるかも気になる」と話した。
午前7時すぎに朝食が用意されたが、食べて帰宅したのは男性1人のみだった。町は同6時20分災害対策本部を解散した。
5カ所に最大120人避難 浦幌
浦幌町では5カ所に最大120人が避難した。堺氏の沢避難場所には9日午前0時15分時点で65人が避難。車で過ごす人も多い中、二つのプレハブのうちの一つでは7人が灯油ストーブを囲み、毛布をかけて暖を取った。午前1時16分、町職員が備蓄品の水と乾パンを配布した。
独り暮らしの加賀則子さん(80)は近所の人の車で避難。長丁場に備え薬やラジオ、タオルなどを持参した。神理佳さん(37)は、船の沖出しに行く漁師の夫を見送った後、4~13歳の3人の子どもと2人のめいを連れて避難した。乾パンを食べて元気に過ごしていた子どもたちも午前2時ごろ、毛布にくるまり横になった。
午前6時20分までに全ての避難者が帰宅、町災害対策本部を解散した。



















