十勝と宇宙との距離がグンと縮まっています。航空宇宙開発をめぐり、国は宇宙基本計画(2015〜24年)を策定、新たなロケット発射場の整備検討を進めています。
十勝でも昨年2月「とかち航空宇宙産業基地誘致期成会」(会長・米沢則寿帯広市長)が設立。49団体の代表が参加し、「誘致」へ向けたオール十勝の体制が出来上がりました。30年来の大樹町への宇宙基地誘致活動は全十勝、そして全道的な動きとも連動しつつあり、夢の実現で、十勝の産業環境が一気に変わる可能性も出てきました。
今年の年間キャンペーンのテーマは「宇宙を拓(ひら)く」です。ファイナルフロンティア・宇宙との関わりで、私たちの暮らしや産業の未來を、多角的に考えます。
-活動経歴が故郷の大樹町に深く関わる。
東京で学生生活を送っていた1987年、父(伏見悦夫前町長)から、大樹町の航空宇宙構想に関するレポートが届いた。当時は世間でも宇宙への機運が高まっており、その後、大手ゼネコンの宇宙開発室に勤務し、スペースポート(宇宙港)構想などのワーキンググループ設置や、調査研究に当たった。
カナダでの3年間の研究を経て、日本宇宙フォーラムに就職した98年に即、宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構)に出向し、日本人宇宙飛行士が搭乗するスペースシャトルのミッションで広報担当官を務めた。
2002年に復職後も、アメリカ、ロシアをはじめ海外関係機関とのネットワーク構築に力を入れた。特にNASA(アメリカ航空宇宙局)のジョンソン宇宙センターやマーシャル宇宙飛行センターとは個人的にも友人が多く、信頼関係は強固と自負する。
-広報面からの宇宙事業普及とは。
フォーラムでは主に宇宙航空研究開発機構(JAXA)から委託を受けて、全国の自治体や企業などが実施する展示会の企画や、映像、パネルの貸し出しなどの開催支援をする。NASAとの協力関係もあり、アメリカが回収した「月の石」と、ロシアが回収した「月の砂」を所有し、世界で唯一、米ロの回収物を一緒に展示することができる。
国も宇宙関連2法の整備や宇宙産業ビジョン2030策定など、ようやく宇宙産業に本腰を入れてきた。だが、海外事情を知る立場として、まだまだアメリカ、ヨーロッパと比べて大きく遅れている。これまでの官需依存・官主導から、民間が主体の動きに変えなければならない。
-インターステラテクノロジズ(IST)の活動など、改めて大樹町が脚光を浴びている。
生まれ育った大樹町を舞台に、民間企業、特にベンチャーが担うのはすごいことで、関係者としてうれしい。先日、担当役員とIST本社を訪問し、7月のロケット打ち上げの話を聞くことができた。
射場の誘致は国内だけでなく、海外との駆け引きにもなっていく。衛星データサービス利用のプラットホームである「S-NET」など利活用分野も意識した取り組みが必要。
宇宙開発事業は息が長く、年代を問わず住む人の「夢」になるような仕掛けが必要。インターネット社会で、逆に「本物」へのニーズは高まっており、「月の石」は子どもたちがとても喜ぶ展示物だ。フォーラム事業の柱である「宇宙を知る。身近にする」という役割を通じて、宇宙事業の裾野の広がりや宇宙を身近に感じるきっかけづくりになれば。
<ふしみ・かずや>
1966年大樹町出身。スペースポートなど大規模施設の立地と地域計画をテーマに、96~98年カナダの大学などで事例調査や研究に当たる。98年に日本宇宙フォーラム入りし、2013年から現職。伏見悦夫前大樹町長の長男。
-新たな射場をめぐる国内の現状は。
衛星を搭載しないロケットなら、大樹町は実績で50基以上。すでに日本で3番目の射場だ。だが必要なのは人工衛星を打ち上げられる射場。世界中で何千機という小型衛星の打ち上げ需要がある中で、日本は完全に遅れている。
民間主導でやることをようやく国が認め、枠組みはつくられた。11月15日から、民間の射場の受け付けが始まった。のんびりしていると、国から「北海道は口だけか」といわれる。本当にやる気があるなら急いで、というところに来ている。
-競争相手も出た。
キヤノン電子、日本政策投資銀行など4社は小型ロケットの発射場を整備すると発表、会社を立ち上げ、調査している。北海道よりその点では一歩先にいる。さらに和歌山県が(串本町への)発射基地誘致を表明した。射場面積や打ち上げ条件など、北海道は依然優位。ただ北海道・大樹町で30年進めているのに、調査会社が「和歌山は適地」といえば先行されてしまう。
-どう動けば良いか。
国への申請手続きに必要な、射場の運営組織づくりが、焦眉の急だ。第三セクターか民間か。いずれにしても、道庁や十勝が後押しする、会社組織的なものが必要。大樹町だけの話ではない。
この点で和歌山と比べ、道の関わり方が鈍い。主体的に動いてほしい。道として一大事業につながる。射場設置の裾野は広い。でもいつまでも補助金頼みの待ちの姿勢でやっているうちは難しい。知事がひと言発すれば、道の中も外も動く。ライバルが出てきた今、まさに動くべしだ。
-鈍らせているものは何か。
事業で、投資に対する効果を考えるのは当然。ただ、射場もないのに「ここでロケットを飛ばして」とはならない。国内なら、海外で上げるよりも輸送コスト、利便性があり、競争力がつく。いい射場を作り、外国の衛星を上げても良い。
需要がわからないから難しいという論理では、永久に射場はできない。まず調査会社をつくり、どう運営すればこの地域で射場が成り立つかを調べることだ。整備して動き出せば、日本への信頼から需要が増える。
-地域の利点と、住民の関心を向ける方法は。
観光面は大きい。年間10機打ち上がれば、常時人がくるようになる。大樹はタンチョウ、キタキツネがいて、それらと共存して美しい公園の発射場になる。種子島よりもきれいになる。最終的にはフロリダ(ケネディ宇宙センター)を目指すべき。道内の経済効果も年間267億円と試算が出ている。道新幹線より上だ。広域データセンターや研究施設、産業が集積されれば、効果はさらに増す。
思わぬ商売、例えば宇宙から人工の流れ星を作って見せようという会社も出てきた。一度「宇宙×○○」と、宇宙と自分の生活との掛け算をしてみてほしい。宇宙はすべてに通じる。十勝の方々と一緒に考えたい。
<うえすぎ・くにのり>
1943年東京都出身。68年東京大学大学院工学研究科航空学専攻修士課程修了。工学博士。東大宇宙航空研究所助教授、宇宙科学研究所(現JAXA)教授を経て2006年退官。JAXA名誉教授。15年から現職。
大樹町や十勝の状況を知る国内の識者3人に、宇宙産業や射場をめぐる現状認識や将来展望、提言をしてもらった。3回掲載する。
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-宇宙産業の現状をどうみるか。
2015年時点での日本の宇宙機器産業の売上高は約3500億円、うち8割を官需が占め「産業」としては危機的状況にある。
宇宙ビジネスは衛星、ロケット打ち上げだけではない。18年度からの準天頂衛星によるセンチ単位での高精度測位サービス開始を控え、データの質・量とも飛躍的に向上するデータをどう生かすかが、今後の宇宙ビジネスのカギになる。
活用分野は、既に進む農機の自動運転など農業はもちろん、災害対応、渋滞予測など交通・物流、自然監視など多岐にわたる。米国では衛星写真を基に世界中の石油プラントから石油備蓄量を予測して先物投資情報を提供するなど、金融面にも活用の可能性はある。宇宙分野と宇宙以外の分野を融合し、新たなビジネスにつなげることが重要だ。
-一方、宇宙ビジネス参入は依然敷居が高く、投資の動きも限定的だ。
現在、宇宙航空研究開発機構(JAXA)などが提供する政府運用の衛星データは有料で、量が膨大で扱いや解析が難しく、利用は限定的だった。18年度からはオープン&フリー化させる予定だ。データ解析企業と実際のユーザーをつなぐ仕組みで利用を促す。既にオープン化した海外では、データを基に、収量や作物被害の発生確率を予想した農業保険サービスや都市計画支援も展開されている。
宇宙ベンチャー企業を育てるため、投資するリスクマネーの供給拡大は必要不可欠。多くのベンチャー企業が活発に動く米国との資金、活動量の差になっている。だが、最近は日本政策投資銀行など政府系金融機関も投資し、小型衛星の打ち上げ需要獲得を目指す企画会社が立ち上がるなど、続々と動きが出ており、期待している。
-大樹町を視察している。現地の活動をどうみるか。
インターステラテクノロジズ(IST)には経済産業省としても支援し、小型ロケット打ち上げ時に足を運んだ。チャレンジしたことに意義があり、打ち上げ会場の盛り上がりには大きな潜在力を感じた。福井県の県民衛星プロジェクト、山口県のJAXAのデータセンター誘致など、各地で宇宙を切り口にした取り組みが続々と生まれている。北海道はその先駆けの存在であり、継続してほしい。
宇宙を利用した新産業・サービスに関心がある企業などでつくる「S-NET(スペース・ニューエコノミー創造ネットワーク)」が7月に札幌で農林水産、観光分野のマッチングセミナーを開いた。有効な情報と、不便で課題がある場所にビジネスチャンスはある。今後の衛星ビッグデータと高度な解析技術を使って「宇宙(を利用する)産業」の裾野が広がれば、と思っている。
<つるだ・まさのり>
福岡県出身。九州大学工学部卒、ハーバード大学ケネディ行政大学院修了。1996年に通商産業省(現・経済産業省)入りし、商務情報政策局国際室長などを歴任。2016年6月から現職。
ロケット発射場など未来の「宇宙基地」実現を夢見る大樹町。2020年以降には日本の月探査が計画される中、これから到来する本格的な「宇宙時代」に、大樹町で行われている、さまざまな実験の成果が役立つことが期待されている。
宇宙航空研究開発機構(JAXA)が計画する惑星探査機開発。大樹では15年から実験機の離着陸試験が行われ、月や火星探査が念頭に置かれている。
今年5月には試験機から窒素ガスを噴出させて6秒ほど機体を浮かせ、約1・5メートルの横移動に成功。JAXA担当者は「安全に飛ばし、安定的に制御するという目標を達成できた」と手応えを語った。月面の探査の他、月と月軌道を周回する宇宙ステーションの往復などで使われる計画だ。
月探査をめぐる競争は激しく、20年代には各国の機関が探査を計画。将来の宇宙拠点と期待される一方で、月面では長期間活動できる環境が南北の極周辺に限られるため、有利な場所を確保しようと探査を急いでいる。
JAXAは20年代初めを目標にインドと連携して無人探査機を送り、分解することで燃料となる酸素と水素になる水があるかのデータ取得を試みる。その後はアメリカによる月の宇宙ステーション計画に参加し、40年をめどに燃料生成プラント構築や、ステーションと月を往復する輸送システム構築実現を目指す。日本人宇宙飛行士による月面探査も目指している。
関係者は「月は将来さらに遠くの宇宙を探査するための拠点となる構想がある」と夢見る。大樹町で実験・開発された惑星探査機が人類の宇宙での活動領域拡大に貢献する日が来るかもしれない。
無人宇宙往還機、月面着陸機、惑星観測器、衛星の回収システム-。大樹の実験場では30年前から、ロケット発射だけでなく、国や研究機関、民間によるさまざまな実験が行われ、宇宙の夢を広げる多くの成果が生まれている。
その一つが、現在の一般財団法人宇宙システム開発利用推進機構(東京)が00年初頭に開発した「次世代型無人宇宙実験システム(USERS)」。軌道上で無人で宇宙実験を行った後、自ら大気圏に再突入するという挑戦だ。
大樹では高空落下・回収実験などが行われた。大樹町企画商工課の黒川豊課長は「USERSはJAXA以外では初めての大規模な実験で大樹町にとってターニングポイントだった。海に落とした機器を漁業者が船を出して回収するもので、今の協力体制もこのときが始まり」と語った。
02年にH2A3号機で打ち上げられたUSERSは、03年に無事帰還。大型超伝導材料の製造に成功し、同機構は「軌道上の成果を持ち帰ることが可能な無人宇宙実験システムを確立。成果を分析して得られた知見で、大型超伝導材料の地上での製造が可能になった」と成果を語る。
黒川課長は「実験ではごう音が出たり、機器が上空を飛んだりする。周囲の理解と協力があって多目的航空公園が生きている。『やりたいならやってみろ』という気概を持っている土地。今後も理解をいただきながら、他ではそうそうできないような実験ができる場所でありたい」と話す。
そして現在、大樹の「宇宙基地」の夢を実現しようとしているのが、インターステラテクノロジズ(稲川貴大社長)だ。
17年の打ち上げでは、民間単独による国内初の宇宙空間到達には届かなかったが、18年は春ごろに2号機打ち上げを予定している。再び高度100キロ以上の宇宙到達にチャレンジする。
20年を目標に小型人工衛星を格安で打ち上げられるロケットの開発を目指している。その先について稲川社長は恒星間を意味する社名のインターステラを引き合いに「目指しているのは太陽系脱出です」と夢を語る。大樹から宇宙へ。挑戦は続く。
宇宙のまち・大樹の実現へ奔走した同町の伏見悦夫前町長は、総務部長時代の1992年、北海道東北開発公庫(現日本政策投資銀行)が打ち出した「航空宇宙産業基地構想」に基づき、大樹町の将来を構想したメモを執筆した。B5判ノート10ページにわたりびっしりと書き込まれているのは、大樹の宇宙基地としての立地の優位性と、「大樹市」に生まれ変わった未来の地域だ。「伏見ノート」に描かれた近未来の姿は、どのようなものか。ノートに登場する架空の人物「佐藤さん」の視点から紹介する。
20XX年-。大樹市尾田の社宅前のリニア駅ホームに、宇宙開発研究所職員佐藤さん(47)が息を切らしながら駆け上がってきた。冬休みを利用してアメリカに旅行中の高校生の息子から「今、ワシントン空港。これから飛行機に乗るよ」と電話があったのは今朝6時半。ホームの時計は午前8時半を指している。「飛行機到着まで30分はあるな」。尾田から浜大樹の宇宙空港まではリニアで3分。ターミナルで息子を乗せたスペースプレーン(宇宙往還型飛行機)の着陸を待ちながら、好物のチーズサーモン丼を食べる時間もありそう。佐藤さんは自然と笑みがこぼれる。
◇ ◇
スペースプレーンは、自力滑走し、離着陸、大気圏離脱、再突入する宇宙船。空気抵抗が少ない宇宙を飛ぶため、飛行機よりはるかに速く移動できる。1990年代に宇宙航空研究開発機構(JAXA)の前身NASDA(宇宙開発事業団)も着目、大樹町も発着地の候補地とされ、技術確立に向け実験も行われた。
現在はアメリカの民間企業スペースXがロケットを使った大陸間旅客輸送の構想を発表。東京とロサンゼルスを30分で移動できるとし、世界の注目を集めている。
音もなくリニアは滑走し始める。車窓に流れる高層ビル群を眺めながら佐藤さんは思う。21世紀前半、過疎に悩んだこの町の人たちは、この景色を想像できたのだろうか。浜大樹にはロケット打ち上げ基地に加え、5000メートル級の滑走路を備えたスペースプレーン対応空港が整備された。大樹市街には宇宙開発関連産業が集積、社宅のある尾田は国際宇宙工科大学を核とした学園都市が形成されている。
佐藤さんが、東京から大樹の宇宙開発研究所に転勤してきたのは1年前。宇宙開発の聖地への着任に胸を躍らせた。都会暮らしに疲れていた妻も、人口20万人というほどよい密度に住み心地のよさを感じている。
碁盤の目に整備された市街地。かつて宇宙を名前に冠した道の駅は今、お気に入りのショッピングセンターだ。萌和山森林公園に立つ全天候型スタジアムは、平日は市民なら無料で利用できる。
唯一の誤算は研究者の子息が多く通う、大樹高校の学力レベルの高さくらいか。「あいつも勉強についていくのが大変とぼやいていたな」。今まさに、成層圏の彼方を飛んでいるスペースプレーン機中の息子の顔を、佐藤さんは思い浮かべる。
◇ ◇
大樹への宇宙関連産業の集積では、現在は今年7月に観測ロケット「MOMO(モモ)」を打ち上げたインターステラテクノロジズが本社工場を構える。ただ同社を創設した堀江貴文氏は2016年の大樹町での講演で、同社だけで将来4000人、5000人を雇用し、家族を含めると町の人口は3倍になる。道東で一番発展する可能性があると話した。
◇ ◇
午前8時40分。佐藤さんは空港ラウンジでチーズサーモン丼と息子を待っている。「アメリカ旅行は、一昔前なら移動だけで1日仕事だったよな」。テーブルに置いたスマートフォンが速報のニュースメールを受信する。愛犬モモの待ち受け画面がニュースサイトに切り替わった。政府の定例会見だ。「首都移転候補地に大樹市。宇宙空港、インフラ充実が理由-」。
「この街はまだ夢を見させてくれそうだ」。佐藤さんは思わずひとりごちた。
※本文とイラストは伏見氏のノートを基に創作したものです。
「航空宇宙産業では群馬県はむしろ後進。だからこそ組織を立ち上げて支援している」
群馬県産業経済部工業振興課の麦倉智史技術開発係長はこう話す。県は昨年3月、「ぐんま航空宇宙産業振興協議会(Hizuru)」を立ち上げ、県内中小企業の航空宇宙産業への進出を後押ししている。「Hizuru(ひづる)」という愛称には、鶴が飛び立つ群馬県の形と、産業の日の出を意味する「日出(いづ)る」の思いを込めた。
正会員約130社にはロケット設計、製造を手掛けるIHIエアロスペース(東京)の主要工場富岡事業所(富岡市)、月周回衛星「かぐや」にカメラ機器を供給した明星電気(伊勢崎市)も名を連ねる。だが県は「こうした企業は別格。他のほとんどは金属加工などの中小企業で、航空宇宙産業へのハードルは極めて高い」とみる。
そこで、同協議会が目指すのは、まず今後20年間で約3万機、売上高で4兆~5兆ドル市場と言われる航空産業だ。群馬県は戦前、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)のエンジンを開発したことでも有名な中島飛行機の拠点があり、協議会はかつての地場産業復活を目指す。
ただ戦後、中島飛行機が源流のSUBARU(旧富士重工業)は県内に拠点を残したが、中心は自動車産業に変化。SUBARUも航空宇宙部門を持つものの、栃木や愛知が中心地となっている。
同協議会は、航空宇宙分野の品質マネジメント規格「JISQ9100」などの取得を支援する。絶対的な安全性・信頼性が求められる航空宇宙分野で必須の規格で、昨年協議会が主催した規格に関するセミナーには、71社127人が参加。昨年4月には13社だった取得企業が、来年3月には20以上に増える見込み。
一方で、企業間のマッチングなど参入支援も行う。一貫受注、生産体制が確立している航空宇宙産業では信頼できる企業にしか発注されず、新規参入が極めて難しい。同協議会は三菱重工や川崎重工業などの出身者を非常勤のコーディネーターとして招き、県内企業が共同でマッチングセミナーに出展するなど、つながりを構築しつつある。
協議会事務局を務める県の麦倉係長は「航空産業では信頼を得て商売につながるまでに10年かかるとも言われ、地道な技術向上、信頼構築が重要。宇宙なら、なおさら」とみる。ただ、「大手につなげることすらできなかった現状は、変わりつつある」と一定の成果が見えてきていることを強調する。
“メードイン福井”の人工衛星を打ち上げるという、福井県の「県民衛星プロジェクト」を担う、福井県民衛星技術研究組合(11社)にこの夏、前進を感じさせる出来事があった。メンバーの春江電子(坂井市、山口良治社長)が、超小型人工衛星の本体に当たる「筐体(きょうたい)」の試作品を設計、製作した。
春江電子は従業員約50人。町工場の雰囲気を残し、工場の生産設備などの設計、製作を主業務とする。「1社1様」というオーダーメードで顧客のニーズに応じ設計、調整、設置までを請け負う。今後の熟練工や労働力不足を予想し5年前からロボットシステム開発にも取り組む。
ロボット開発を担当していた主任の西澤英樹さん(42)の元に県民衛星プロジェクトの話が舞い込んだ。当初は「“地上”業務で手いっぱい」(山口社長)と難色を示したが、何度も足を運ぶ担当者の熱意に打たれて参画。山口博司専務(38)と西澤さんが担うことになった。西澤さんは組合の技術支援を受ける東京大学に1カ月詰め、教えを受けた。
筐体とは制御機器などを収納するための箱のこと。組合顧問の中須賀真一東京大学教授からは、重量3キロ減を求められるなど、受注を意識した容赦ないアドバイスを受けた。1年余りをかけて30センチ角・重さ6キロの筐体を完成させた。県工業技術センターでの振動試験でも想定通りの強度を確認できたという。
当初は「人工衛星に参入するとは」と笑われたが、新聞で大きく報じられることで周囲の目や社員の意識も変わった。山口専務は「エース級の技術者(西澤さん)を100%人工衛星業務に充てるのは正直難しい決断だった」と明かしながら、「工場設備や装置という裏方を担い、一般に伝わる最終製品を扱っていなかったので、社員の自信になった」と語る。
「県民衛星実現には広く一般の賛同が必要」。県は民間参入と併せて県民理解にも力を入れる。2015年には「宇宙博inふくい」を開催し、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の人工衛星模型などを展示した。19年には宇宙技術および科学の国際シンポジウム(ISTS)の福井県開催が決定、世界各国の研究者約1000人が集まる。
県民向け普及の拠点となるのが、県児童科学館(エンゼルランドふくい)だ。昨年大規模リニューアルし、デジタル技術を駆使した展示内容を充実させた。宇宙からの映像が見られる国内最大級の大型モニター、惑星探査を体感できるアトラクションを楽しめる。一部を除き無料で、年間60万人が訪れる。
施設内の一角には山崎直子さんら、宇宙飛行士からのメッセージと並び、打ち上げを目指す県民衛星の模型を展示している。「実現に向けてリアルな感動を」と80センチ角の実物大にこだわった。人工衛星の製作開始後は、ふるさと納税者を招いた現場公開なども予定している。
県新産業創出課は「県工業技術センターの実験設備などハードはそろった。今後は県外との交流へと、裾野を広げる時期」と指摘。大樹町の射場誘致に向けた動きにも関心を示し、国全体での宇宙産業の盛り上がりに、産業面からアプローチする考えを示している。
福井県は伝統ある製造業を切り口に「宇宙」に挑んでいる。中でも一般市民も巻き込んだ「県民衛星プロジェクト」は、ふるさと納税のメニューにもなり、話題を呼んだ。構想浮上から2年余り。繊維製品や眼鏡に代表される「ものづくり県」としての知見と技術力を生かした取り組みが、着実に進んでいる。
県の戦略に「宇宙」のキーワードが現れたのは2015年。有識者会議の席上、他の地方同様に人口減少と高齢化で縮小傾向にある県内経済の起爆剤に-と、提案された。県内製造企業が超小型衛星の製造能力を確立し、システム系企業が衛星データ活用システムを開発する福井発の宇宙ビジネス構築を目指す内容だ。
県や大学、研究機関や金融機関など県全体をつなぐ、ふくいオープンイノベーション推進機構と、実働組織に当たる製造系とデータ系企業11社による福井県民衛星技術研究組合を発足させた。組合には中須賀真一東京大学航空宇宙工学専攻教授など第一人者を顧問に迎えて専門的なサポートも受け、19年に「県民衛星打ち上げ」を果たし、製造受注を目指す計画だ。
県の予算措置からも「本気度」を感じさせる。県内企業の技術支援拠点の県工業技術センター内に組み立て製造用、実験用の設備を次々と設置。投資総額4億円の3分の1に当たる1億4000万円を負担した。今年度中には宇宙空間の環境を模した熱空間試験機と、超小型衛星の電波電力を測定する電波暗室を整備し、実験に備える。
単なる夢物語に終わらないカギは福井の県民性にもあるという。社長数は全国で最も多く、県内総生産に占める製造業の割合は全国平均より3ポイント余り高い21・4%。県内に大学3校があり、以前から産官学連携の素地が整っている。同センターの強力(ごうりき)真一センター長は「知り合い同士ばかりの小さい県で話がまとまりやすい」と語る。
一方、県民衛星打ち上げの道のりは不透明だ。計画では今年度に詳細設計に入り、その後環境試験や実際の製造・組み立てを行うとしている。宇宙航空研究開発機構(JAXA)のイプシロンロケットへの搭載方式を計画しJAXAに今年5月に申請したが、結果は示されていない。設計内容はそれらに左右されるため、動きが停滞しているのが実態だ。県新産業創出課は「審査は粛々と進んでいると聞いており、採択を待ちたい」とする。
眼鏡1本の製造工程は約200に及ぶといわれる。長年培った精緻な技術力で、独自に宇宙産業に挑む企業も。伝統の繊維業はロケットの防音材や炭素繊維として探査機搭載の実績も得た。県はこうした部品の内製化に今後の可能性があるとみる。「製造分野での担い手・プレーヤーを育て、官需中心の宇宙関連産業に食い込みたい」とする。伝統のものづくり力を生かして宇宙を見据える。
「ハイブリッドなど本格的なロケットを打ち上げるのはよそにはできないこと。観光の視点からも、加太のブランド、知名度アップにつながる」。和歌山市加太観光協会理事(事業企画担当)の稲野雅則さん(44)は語る。稲野さんは地元の飲食店「活魚料理いなさ」の3代目店主だ。
稲野さんら地域住民は、ロケット打ち上げ実験による地域振興を、ただ期待しているだけではない。観光協会と加太地区連合自治会、加太漁業協同組合で構成する「加太地域活性化協議会」として、主体的に実験推進に関わっている。
打ち上げのための県への土地利用申請の他、当初は和歌山大が開催した宇宙イベントも、現在は協議会が主催する。さらに、稲野さんたちは、実験に訪れる学生たちをサポートする「頼れる兄貴」的存在でもある。
「人との関係も大事。それが僕らの役割」。同じく加太観光協会理事の幸前次朗さん(43)は語る。幸前さんは地元の「庄司酒店」の主人。無事にロケット打ち上げを終えた後の「打ち上げ」では、漁協が用意した新鮮な魚を囲み、学生たちの相談や悩みを聞く。
「お金がない」という学生の声を受け、フェリー会社に掛け合って和歌山に来る運賃の学生割引を実現し、地元の宿は学生料金3000円で泊まれるように。協賛が得られそうな地元企業なども紹介している。
観光協会理事で協賛企業回りをサポートする森田大介さん(45)は、地元の管工事業「森田鉄建」の社長。学生に「自分らの思いを自分の口で言え。そこからスタートや」と厳しく話す。「去年は学生を泣かせてしもうた」と話す森田さんだが「みんなかわいいし、頑張ってほしい。いつかまた加太に来たいと思ってくれる子が一人でもいればうれしい」と温かく見守る。
地域と学生の密接なつながりが、和歌山大教授の秋山演亮さんが考える「宇宙教育」の柱の一つとなっている。
加太でのロケット実験は高度が低く、実験場となる工業用地が開発後「塩漬け」状態だったこともあり、地元には歓迎のムードが強いという。協議会に参加する漁協から秋山さんに「密漁監視にドローンを使えないか」と相談が来るなど、協力関係は親密だ。
歴史ある観光地として知られる加太で、打ち上げ実験場は新たな観光素材と期待される。民間による「ドローンバトル」の利用構想などもあり、稲野さんは「ロケットあり、ドローンありと、着地型観光の仕掛けをつくりたい」と話す。
宇宙イベントの参加学生は現在70人程度だが、幸前さんは「将来は(約500人が集まる)秋田県能代ほどに育てたい」と考える。実験場を見渡す高台に、ロケット打ち上げなどを見学できる仮設の交流施設を設けるアイデアもある。
21日に東京都内で開かれた「宙(そら)ツーリズム推進協議会」の設立総会。宇宙や空、星をテーマに地域振興や教育に取り組む全国の自治体や団体が集まる場に、秋山さんと稲野さんもいた。新たに「宇宙」と結びついた加太の魅力を発信していく考えだ。
インターステラテクノロジズ社による民間ロケット開発が地域の期待を集める大樹と比べ、秋山さんは語る。「宇宙が産業としてどうまちづくりに関われるかの新しい挑戦が大樹ならば、加太はより間口が広い。『加太に行けば面白いことをやっている』という、宇宙に興味を持ってくれる人を増やす場所にしたい」
インターステラテクノロジズ(IST)のロケット打ち上げや国の射場誘致など、宇宙のまちづくりに夢が膨らむ大樹町、そして十勝。人材開発や教育、産業・企業誘致など、宇宙をテーマに地域活性化に取り組む全国の先進地を訪ね、地域づくりのヒントを探った。
2001年、大樹町で東京都立科学技術大(現首都大学東京)が国内で初めて、固体燃料と液体酸化剤を組み合わせたハイブリッドロケットを打ち上げた。翌年も大樹で、北大などが空き缶サイズの小型衛星CANSAT(缶サット)を搭載した同ロケットの打ち上げに成功した。
こうした大学による宇宙挑戦のニュースを、「人材開発」の視点から注目する研究者がいた。現在は和歌山大学教授(宇宙教育研究推進室)の秋山演亮さん(48)。当時は大手ゼネコンの技術研究職員だったが、学生によるロケット打ち上げに「人を育てるにはこれだ」と確信したと話す。
「『仕事』と『作業』は違う。ロケット打ち上げの仕事は300以上の作業からなる。全体の作業量を見極め、手分けし、全体を動かす人材が必要」。実践力、調整力、チーム力など、仕事をする上で必要な能力を育てる教育の場として、「宇宙」に目を付けた。
自身も宇宙にあこがれ、ゼネコン時代も「はやぶさ」による小天体探査計画などに関わってきた秋山さんだが、「日本全国に学生の共同実験場を作ろう」と思い、03年に秋田大へ。宇宙と教育、宇宙と地域を結ぶ「枠組みづくり」の活動をスタートさせた。
05年、秋田県能代市の鉱山の鉱滓(こうさい)堆積場をロケット打ち上げ場に利用した「能代宇宙イベント」を開始。今夏で13回目を迎えたイベントは内閣府や宇宙航空研究開発機構(JAXA)なども後援し、学生だけで約500人が集まる一大行事に成長。経済効果も生まれている。
次に「西日本の学生も集まりやすい場所を」と本州中央部で適地を探し、大阪湾に面した和歌山市加太にたどり着いた。関西国際空港造成に使った土砂採掘跡地の工業団地が平たんで人家から離れ、ロケット打ち上げの条件を満たしていた。08年に和歌山大に移り、学生の教育用打ち上げ実験場として活用を始めた。
空港に近いために高度は400メートルに制限されるが、和歌山大だけでなく、近隣の徳島大や大阪府立大なども利用し、ハイブリッドロケットの他、火薬を使うモデルロケットなどを上げる。13年からは「加太宇宙イベント」も始め、高校生が技術を競う「缶サット甲子園」など、さまざまな挑戦の場となっている。
11年に伊豆大島(東京)でも学生による共同打ち上げを開始。現在は大樹を含む、能代、加太、伊豆大島の4カ所が、大学による主な実験用射場になっている。
高校生がハイブリッドロケットの設計から打ち上げまでを体験する「ロケットガール&ボーイ養成講座」も秋田、和歌山などで開催。大学の共同実験も含む宇宙教育の枠組みから、多くの若い人材が育っている。
「重要なのは(ロケットを)上げたい気持ち」と若者たちの熱意を大切にする秋山さんだが、「実験は地元の理解がないとできない。そこからが(打ち上げの)始まり。やりたいことをやるには支援者が必要」と学生には教えている。
加太での実験では、打ち上げに必要な地元との折衝をすべて学生に実践させる。「こうした教育は都会ではできない。地方だからこそ」と秋山さん。加太を訪れる学生たちを出迎え、実験を支えているのが、地域住民で構成する「加太地域活性化協議会」だ。
166ページにわたる1冊の報告書がある。タイトルは「北海道東北21世紀展望報告-民間活力が築く21世紀の地域ビジョン」。1984年3月に発表されたこの報告書の中に「航空宇宙産業基地」が、北海道の21世紀のプロジェクトとして示されている。
策定したのは北海道東北を考える21世紀展望研究会。メンバーは大学など学術機関の他、中央省庁、シンクタンク、金融機関などの担当者で82年に設立総会を開き、計9回の研究会で議論を重ねた。83年の中間報告に合わせてシンポジウムなどを約30地域で40回開催。参加者総数は約5000人に達した。
事務局は政府系金融機関の北海道東北開発公庫(現・日本政策投資銀行)。中央集権や北海道・東北地域の民間プロジェクトの停滞に危機感を抱き「地域内発型の産業興しを」と音頭を取った。当時調査部調査役として事務局員を務めた小林茂さん(67)=元エア・ドゥ副社長、横浜市在住=は「所管の北海道開発庁には、ほぼ事後承認の運びで挑戦だった」と打ち明ける。
プロジェクトでは「人口容量にゆとりのある北海道・東北地域に航空宇宙基地を立地し、(中略)活性化と定住環境条件の整備を促す」と掲げた。ロケット打ち上げ施設などの実験施設整備を盛り込み、場所を「安全確保の面から東側が海である太平洋沿岸地域が望ましい」と結論づけた。
「展望とはいえ、最も構想が難しいのが航空宇宙産業基地だった」と小林さん。NASDA(宇宙開発事業団、当時)に何度も質問し優位性を探った。その中で太平洋側で晴天率の高さなどから、「十勝しかない」と思うに至った。84~86年の北海道支店時代には何度も十勝に足を運び、当時若手の有力経済人と可能性を展望した。
構想に対する反響は予想以上で、北海道、東北の各経済連合会、商工会議所などの経済界や自治体から歓迎と問い合わせが絶えなかった。小林さんは「石炭産業や北洋漁業の衰退など北海道の資源立地型産業が挫折を迎えた時期で、新たな構想に懸ける強い思いを感じた」と指摘する。
当時、北海道庁にも道内の宇宙基地構想があった。オール北海道の産業として室蘭や苫小牧(苫東)の名が挙がる中、射場の受け皿とされたのが大樹だった。
「当時は『夢物語』と捉えられ、道議会や道庁内でも実現性はないとされた」。道の新長期総合計画戦略プロジェクトで航空宇宙産業基地構想の担当主査だった大原嘉弘さん(73)=江別市=は振り返る。当時の横路孝弘知事(現衆院議員)が東京で研究者やゼネコン関係者に話をしても、「北海道はソ連に近く安全面で心配」などと言われ、本気にされなかったという。
しかし道は85年6月、新総計の戦略プロジェクトで「航空宇宙産業基地」を提唱。「宇宙基地など外国でやっているものと思っていた。ここへ持ってくると聞いて『えっ』と驚いた」。当時町の企画課長だった伏見悦夫前町長は、道庁に呼ばれて話を聞いた当時の驚きを語る。報告した当時の野口武雄町長は「やってみよう」と即断。航空宇宙の長い取り組みが始まった。
95年に町多目的航空公園が完成、国や大学などの数々の航空宇宙実験を経て、2008年に宇宙航空研究開発機構(JAXA)との連携協力協定調印と、紆余(うよ)曲折を経ながらも大樹は着々と実績を積んできた。
国の新射場候補地に例示されるようになった現在を、小林さんは「十勝の地域力の結果。30年以上をかけて地道に取り組みを続けたことは素晴らしい」、大原さんも「野口、福原(勉)、伏見の3町長が一生懸命にやって、中央の宇宙関係者とネットワークを築いてきた。ここまでつないできたのは大樹町の熱意」とたたえる。
多くの人々の長年の思いが詰まった「宇宙のまち」で今、夢の一つが形になろうとしている。
ISTが29日に、国内民間企業初の宇宙空間へのロケット打ち上げに挑戦する舞台となる大樹町。30年以上前にこの土地の可能性に注目した専門家たちがいた。宇宙への扉が開こうとする今、挑戦の始まりとなった草創期の人々の思いを上下2回でたどった。
NASA(アメリカ航空宇宙局)の一員だった米国カール・セーガン作の人気SF小説「コンタクト」(1985年)。この作中に「タイキ」の地名が突如登場する。なぜ彼が北海道の町名を知り、登場させたのか-。
宇宙航空研究開発機構(JAXA)の関連団体、日本宇宙フォーラム(東京)の関係者によると、80年9月、セーガン氏は前作「コスモス」のキャンペーンで来日。その際、東京や京都、大阪を訪問して、メディアや作家など多くの日本人の宇宙関係者と交流したという。「コンタクト」での日本の描写には、その時の経験が色濃く反映されていることから、ここで何らかの情報を得たのではないかと推測される。
大樹町とも関係が深い、的川泰宣JAXA名誉教授(75)の話は興味深い。
的川氏とカール・セーガンは、86年にモスクワで開かれた、NASA、ヨーロッパ、ソ連(現ロシア)などの国際宇宙科学機関の連絡会議(IACG・当時)で知り合った。意気投合して酒を交わし、語り合い、96年に亡くなるまでメールのやりとりを続けた。死後もセーガン氏の妻から依頼を受け、宇宙映像を提供したこともある。
コンタクトの「日本語版」=写真=は86年の発刊。自身も小説を読み驚いたという的川氏は、「どうして『タイキ』を登場させたのかは定かではないが、モスクワで大樹町も含めた北海道の航空宇宙基地構想を紹介し、彼が関心を示したことを記憶している」と振り返る。
日本における宇宙分野の権威である的川氏と、大樹町の縁は、30年ほど前にさかのぼる。
90年代にJAXAの前身のNASDA(宇宙開発事業団)は自力滑走し離着陸と大気圏離脱・突入する宇宙船「スペースプレーン」構想を掲げた。この全国の候補地3カ所のうち、1カ所が大樹町で、的川氏は大樹町を何度も訪れた。「一面の広大な原野。放牧牛が自分たちを見に来ているような場所で驚いた」と懐かしむ。
南東に海が広がり、平らな広い土地。大樹町の地形的な優位性はもちろん、「地元の熱意」が的川氏の印象に残ったという。地球の自転エネルギー利用の観点から、打ち上げ場所は、日本では南方が良いとされる。だが、的川氏は「日本の狭い国土内の比較では決定的な差異はない」と指摘する。
的川氏はその後、何度も町に足を運んだ。特に当時、町の担当課長だった伏見悦夫前町長とは自宅に泊まるほど仲が良く、的川氏の人脈を生かして、地元で小学生向けの宇宙教室やイベントを開催した。
こうして「大樹町=宇宙」の知名度も上がり、宇宙科学研究所(神奈川県相模原市)の大気球実験が、三陸大気球観測所(岩手県大船渡市)から大樹町多目的航空公園で行われるようにもなった。
自らが可能性を感じ、機運醸成に尽力した大樹町で、初の国産民間ロケットの打ち上げが行われることを的川氏は「非常に感慨深い」という。「国家ぐるみで宇宙産業をリードする米国に比べて、日本の民間部門は人材面、技術蓄積の面で非常に厳しい状況」と指摘。その中で、ベンチャー企業のインターステラテクノロジズ(IST)が大樹町を拠点に開発・打ち上げを実現させる意義は「非常に大きい」と語る。
小説を超えて「タイキ」の地名が、新たな航空宇宙基地として、世界的な知名度を得ることにつながるか-。大樹町と宇宙をつなげたキーパーソンは、29日の打ち上げを注目している。
「ロケットを宇宙へ打ち上げた企業は国の機関を含めても世界で10社程度しかない」
高度100キロ以上の宇宙空間への打ち上げに成功すると、北海道・大樹町に拠点を置くインターステラテクノロジズ(IST)は、世界でも数少ない、宇宙に到達した企業の一つとなる。
最先端を走っていると思われがちだが、民間企業の競争は既に激しい。同社が目指す小型人工衛星を格安で打ち上げるビジネスは、現在行われていない。しかし、同じコンセプトで開発を進めるベンチャー企業は存在する。これらも2、3年以内に商業化するとみられ、社長の稲川貴大は「後れを取りたくない」と焦りをにじませる。
ニュージーランドで小型ロケット打ち上げを目指す「ロケットラボ」(アメリカ)は、3Dプリンターを活用して制作したロケットの打ち上げを目指す。人員は100人規模で、資金は米シリコンバレーの複数の投資会社が支える。
ヴァージンギャラクティックは、航空会社などを持つ大企業ヴァージングループ(イギリス)の一部門で、宇宙旅行も手掛ける。飛行機で上空からロケットを放つ空中打ち上げを目指す。
稲川はこれらのライバルを相手に、開発人員を増やし、開発のスピードをさらに早めたいという。現在14人の社員は少なくとも50~100人に、面積500平方メートルの本社工場は10倍の規模に、という構想を持つ。
日本政策投資銀行北海道支店長の松嶋一重は「北海道に航空宇宙産業が集積してほしい思いはある」とし、「ISTのような企業が出てくることは北海道にとってプラス」と、打ち上げの成功が他の関連企業進出の呼び水になり、道内に宇宙ビジネスが興っていくことに期待を寄せる。
そのために必要なのは、民間企業が宇宙開発を進めやすい環境の整備だ。2016年11月、民間のロケット打ち上げを規定する宇宙活動法が整備された。宇宙ビジネスが活発なアメリカで同様の法律ができたのは30年近く前。日本もやっとスタートラインに就いた。
アメリカではロケットを開発しきれていない企業に対しても、人工衛星の打ち上げサービスを契約し、開発費と打ち上げ費用を前払いする仕組みがある。アメリカ航空宇宙局(NASA)が民間企業と日本円で200億円を超える契約をした例もあり、企業は早期に収入を得て開発を加速することができる。その中からは、国際宇宙ステーションへの物資輸送を担う民間企業も現れている。
国内にも同じ趣旨の補助制度があるが、金額はアメリカに及ばない。アメリカではNASAの開発者が民間企業に移ることも多く、民間に産業を移す、という考えが浸透している。
ただ、日本でも今年、自民党宇宙・海洋開発特別委員会が発表した「宇宙産業の振興に向けた宇宙利用の拡大-第3次提言」で民間の支援を明記。宇宙航空研究開発機構(JAXA)による技術支援のほか、宇宙への投資を容易にする税制措置や、省庁による打ち上げサービス購入も盛り込んでおり、稲川も「本格的に民間宇宙ビジネス推進に向かっていると感じる」と評価する。
創業者の堀江貴文や稲川は「宇宙活動法もそうだったが、われわれの開発が進めば、(後から)仕組みができてくるかもしれない」と語る。ISTが十勝・大樹町から切り拓く、細い一本の道は、後に続く人たちにとって、大きくて確かな道しるべとなる。
「今まさにデスバレーを超えようとしている」
インターステラテクノロジズ(IST)創業者の堀江貴文は、昨年1月のロケットエンジン燃焼試験に立ち会った際、高度100キロの宇宙空間に到達するロケット打ち上げへの挑戦をこう表現した。
デスバレーはベンチャー企業が最初の製品をリリースするまでに超えなくてはいけない死の谷を指す。堀江は「死の谷を超える前にお金を出してくれる人はなかなかいない」とし、打ち上げ成功で、次のステップの小型人工衛星用のロケット開発の資金確保につながると見通す。
同社の主な収入源は投資家からの資金。高度100キロへの打ち上げ成功は、将来的に人工衛星の軌道投入機を開発できる基礎技術を備えている証左で、投資の増加が見込めるという。
同社独自のビジネスでも収入を得られるようになる。宇宙を目指す観測ロケット「MOMO(モモ)」の打ち上げ成功後は関係者との調整を経て、商業打ち上げを始める予定。宇宙まで飛ばし、そのまま落下してくる「サブオービタル飛行」のサービスで、数分間の無重力状態を提供する。
NPO法人北海道宇宙科学技術創成センター(HASTIC)特任理事の伊藤献一は「なるべく早く高度200~260キロくらいまで上げること。滞空時間が長くなれば、結婚記念や宇宙葬などいろいろなイベントにも活用でき、市場が広がる」と期待を込める。
ISTでは、医薬品や新素材の開発、実験での利用が見込まれるほか、宇宙や高層大気の観測にも使用可能。さらには、民間の自由度を生かし、機体の広告利用、宇宙からの映像中継などエンターテインメント利用を期待する。費用は大学や企業が利用しやすいよう数千万円を目指す。
資金、人材などの基盤を強化して次に目指すのが、より市場が大きい小型人工衛星の打ち上げだ。開発を本格化させて、宇宙まで格安で衛星を届ける「宇宙へのバイク便」を2020年を目標に実現させる。
人工衛星は民生品の進化に伴い、小型化、低価格化が進み、以前の100億円超から、数千万~数億円で作れるようになった。しかし、宇宙への輸送手段は、国が主導する大型ロケットが主で、複数の衛星が相乗りする形を取る。
日本宇宙フォーラム広報普及事業部の渡辺勝巳は「小型衛星の需要は多いが、射場が足りず、今は大型ロケットに相乗り。これでは打ち上げ時期や投入軌道がメインの衛星に合わせることになり、独自ミッションの軌道に入れない」と語る。搭載への検査も厳しく、費用も高い。学生や小規模事業者の利用が進まない原因といわれる。
現状では大学、企業はインドやロシアでの打ち上げに頼っているが、順番待ちの状態。人工衛星の打ち上げにロシアのロケットを使うアクセルスペース代表の中村友哉も「打ち上げ時期が平気で遅れる。ロシアに運ぶと輸出になり、経産省の許可など手間がかかる。値段が同じなら日本を選ぶ」と国内での打ち上げを待望していた。
IST社長の稲川貴大は「インドやロシアでは5億円程度で飛ばしていると聞く。そのくらいの値段で上げたい」という。狙うのは高度500~1000キロの低軌道への打ち上げで、将来的には年間500機の打ち上げ需要があるともいわれる。
その先に見据えるのは有人打ち上げや小惑星への打ち上げ。現在、月面探査機などのロボットの開発が進んでおり、人が宇宙にベースを作る時代も来る。同社も将来的には小惑星で資源を採取して補給基地を作り、さらに遠くの宇宙を目指す。社名の「インターステラ」は「恒星間」を意味する。稲川は言う。「目指しているのは太陽系脱出です」
ロケット打ち上げで、発射ボタンを押すのは大役。関係者、それも一定程度の役職者がその役割を果たすのが通常だろう。ところがインターステラテクノロジズ(IST)が宇宙に向けて初めて放つ、記念すべきロケットの発射ボタンを押すのは、社長の稲川貴大でも、同社創設者の堀江貴文でもない。一般人だ。
同社はインターネットで不特定多数から資金を募るクラウドファンディングを活用し、開発、打ち上げ費用に役立てた。返礼には稲川社長の講演会開催権や実験場見学ツアーを用意し、1000万円を支援した人には打ち上げボタンを押す権利を贈った。その結果、発射ボタンは、都内の不動産会社社長が押す。
同社は、国主導のロケットでは到底考えられない手法で、従来の宇宙開発のイメージを覆す、民間らしさあふれる開発を行ってきた。2013年には大手製菓会社と契約し、11月11日の「ポッキーの日」、11時11分11秒に「ポッキー」と「プリッツ」を模したロケットを高度1111メートルまで打ち上げた。国内初の民間のみによる商業打ち上げで、遊び心あふれるその取り組みは、広告としての宇宙利用を示した。
近く打ち上げる観測ロケット「MOMO(モモ)」も、機体にデジタルコンテンツ配信大手の「DMM.com」のロゴをプリント。インターネット事業を手掛ける「サイバーエージェント」の藤田晋社長も支援するなど、民間が宇宙と関わる機会を広げている。
開発の仕方も特徴的。本社工場は町芽武の旧JA大樹町歴舟事業所を活用。ホームセンターやインターネットで部品を調達し、加工は中古の工作機械を使う。
稲川は「国のロケットがフェラーリなら、宇宙に向かう軽自動車を目指す」と言う。汎用(はんよう)品を使い、できるだけ簡単な方法で手作りすることで、誰もが利用できる格安ロケットを作ろうとしている。
また、国や企業は開発過程を明かさないのが一般的だが、同社はネットで試験動画を公開する。開発には社員以外の学生や社会人も関わる。東大の研究室との共同開発の他、将来ロケット開発を志す学生、学生時代ロケット開発をしていた社会人が休暇を取ってボランティアで参加している。
「格好良く言うとオープンイノベーション」と稲川は言う。宇宙産業はさまざまな分野の知見が必要となる総合工学で、小規模ベンチャーでは必ず解決できない課題が出てくるという。そこを社外の知見も活用して課題を克服し、技術革新を見いだす意図がある。
開発には失敗がつきもの。燃焼試験でエンジンが破損した際は、飛び散った部品を「ばくはつのかけら」と題して小袋に入れ、「身代わりに爆発してくれる幸運のアイテム」とし、クラウドファンディングの返礼とした。Tシャツ、マグカップなどのオリジナルグッズも製作。ファンクラブも結成し、月会費を集めながら、ファンに開発状況を報告するイベントも開いている。
稲川は今の宇宙関連産業をインターネットの黎明(れいめい)期になぞらえ、将来的には民間に広く浸透し、社会インフラや娯楽などの対象になると見通す。ISTは、宇宙が身近になる将来を見据えた取り組みを進めている。
大樹町芽武にあるインターステラテクノロジズ(IST)の本社工場から車で20分ほど、太平洋に面した砂利道を走ると、2013年の会社設立以来使用している実験場が見えてくる。
聞こえるのは波と海風の音くらい。人里離れたこの場所は2005~10年まで、防衛省による哨戒(しょうかい)機のエンジン試験で使われていた。約1ヘクタールにわたってコンクリートが敷かれており、地面に負荷がかかるロケットエンジンの燃焼試験や実験機の打ち上げも行いやすい状態だった。
試験では、実験場に据え付けたエンジンを一定時間燃焼させる。高温のガスが噴出され、長いときは1分以上、周囲にごう音がとどろく。社長の稲川貴大は「国内でこれだけ試験できる環境はない」と感謝する。
「危険ですので実験場には絶対に近づかないでください」
試験開始前に流れる、注意喚起のアナウンス。その後に、ばんえい競馬の勇壮なファンファーレが流れる。
十勝らしさとともに、「この音楽の後には、すごい音が出る」と近隣の牧場の牛にも試験の合図として覚えさせ、燃焼の音で暴れたりしないよう備えてもらう狙いもある。ISTから酪農のまち・大樹町への配慮が見える。
同社では燃焼試験を3、4日に1回は行う。多いときには1日に複数回行うこともある。「新規開発は試験をどれだけ繰り返せるかが重要」。稲川は力を込める。
ロケットの技術は1980年代までに完成したといわれ、世界の民間企業は過去にアメリカや旧ソ連が作り上げた技術を下敷きに開発を行っているという。ISTもアポロ計画の月着陸船の技術を基にエンジンを開発している。
公開された論文を参考にするが、そこには開発方針や考え方しか書かれておらず、肝となる具体的な設計は記されていない。稲川は「ベンチャー各社はその肝を突き止めるため、何度も試験し、試行錯誤を行っている」と話す。
近く打ち上げる高度100キロを目指すロケットに搭載する液体燃料エンジンは15年に開発を始め、4カ月で推力1トンの100秒間燃焼に成功。液体燃料エンジンの開発は何年もかかると言われるが、小さいエンジンながらも短期間で開発できた。
エンジン内部の燃料噴射装置は、部品数を大きく減らし、コスト低減を図れる「ピントル型」と呼ばれる方式を完成させた。ロケットの飛ぶ方向を調整するための誘導・姿勢制御機構も完成。この2つは、世界でも国の機関以外では最先端ベンチャーしか完成させていない技術だという。
「他の自治体に燃焼試験をやりたいといったら、場所の選定や実験の仕方などの検討に時間がかかる。大樹町ではフットワーク軽く試験させてもらえた。大樹がなかったら開発できなかった」。大樹町の国内有数の試験環境がISTの技術開発を支えている。
「ロケットを作る」という壮大な目的で集まった「なつのロケット団」だが、実際の活動は地味で地道な作業だった。
2007年6月、開発拠点を千葉県鴨川市に移設し、月1回の「合宿」を続けた。開発には相応の金額と期間を費やすため、あらゆる事態を想定し実験を続けた。「出すべきエラーを出し切り改善する。針の穴を通すようなプロセスを繰り返した」とメンバーの1人で、メディアアーティストの八谷和彦は振り返る。
液体窒素を詰める作業だけに、2カ月を要した。2リットル入りの空きペットボトルを切り、即席じょうごとして使ったが、低温物質のため一瞬で気化し押し戻されてしまうのだ。サイホン式のコーヒーを入れる要領で克服した。
燃焼実験の様子はスロー映像を撮影できるカメラで収め、失敗時に飛び散った破片一つ一つを映像で確認し、拾い集めた。ネットオークションで落札した何台ものカメラは、熱波に巻き込まれ、その役目を終えた。
作業が行き詰まると皆で食事を囲み気分転換した。スポンサーの堀江貴文が料理することもあり、「げん担ぎ」と称して伊勢エビカレーを食べに行くのが恒例になった。「実際にやってみると想定しないことばかり。それでも手を休めなかった。全ては無駄じゃなかった」。漫画家のあさりよしとおは力を込める。
製作が進むにつれて、音や衝撃波が増し、より広いスペースの拠点が必要になった。候補はいくつか挙がったが、最終的に、あさりが空知管内上砂川町出身ということもあり、同じく民間ロケット開発に取り組む植松電機(赤平市)を訪ねた。
専務の植松努(現社長)は当初「怪しいビジネスでは?」と警戒した様子だったが、思いを伝えると満面の笑みで協力を約束した。「自分と同じことを考えている人がいるなんて!」
その後、環境が整う大樹町に拠点を移し、2013年、ISTが誕生した。
再び2013年3月29日。「ひなまつり」が爆発炎上した現場には、当時東京工業大の院生で、宇宙エンジニアの野田篤司の授業を受けていた稲川貴大(30)も手伝いに来ていた。堀江は打ち上げ失敗に意気消沈することなく、数日後に大手メーカーの入社式を控えていた稲川を熱心にISTにスカウト。学生時代に人気テレビ番組「鳥人間コンテスト」に応募し、航空宇宙分野に憧れていた稲川もロケット開発の夢を追うことを決めた。現在は社長として開発や関係機関との折衝で社を率いる。
「単純に面白いから」。無謀とも受け止められる「ロケット開発」に挑む理由について、メンバーは口をそろえる。今夏に迫った、民間では国内初となる、高度100キロの宇宙空間へのロケット打ち上げ。ロケット団メンバーの多くも発射に立ち会い、「歴史的瞬間」を見守る予定だ。(敬称略)
インターステラテクノロジズ(稲川貴大社長)が、十勝・大樹町から、国内では民間初となる高度100キロの宇宙空間到達を目指すロケットを打ち上げる時が迫ってきた。これまでの歩みや今回の挑戦の意味、展望などを追った。
2013年3月29日早朝。大樹町多目的航空公園内の特設発射場から、あるグループの夢を載せた小型ロケット「ひなまつり」が打ち上がるはずだった。しかし、ロケットは発射台にとどまったまま、爆発、炎上した。
打ち上げたのはロケット開発会社インターステラテクノロジズ(IST、大樹町)。創業者である実業家の堀江貴文(44)が27日に仮釈放され、公に姿を見せるとあって、マスコミも大挙した中で惨事は起こった。
「『ひなまつり』が『火祭り』になってしまった」。同社の前身に当たる民間ロケット開発集団「なつのロケット団」メンバーで、メディアアーティストの八谷和彦(51)=東京=は苦笑しながら懐かしむ。
「なつの-」は、無類の宇宙好き、ロケット好きたちの奇妙な“縁”から誕生した。
1980~90年代は米国スペースシャトルの相次ぐ打ち上げなどで、宇宙への盛り上がりが加速していた。宇宙ジャーナリストの松浦晋也(55)=神奈川県=は、94年2月にH-2ロケットの初めての打ち上げを見ようと、休暇を取り種子島宇宙センター(鹿児島)に向かった。そこで、科学雑誌で連載を持ち、既に親交があった漫画家のあさりよしとお(54)=東京=とSF作家の笹本祐一(54)=札幌=に出会った。
意気投合した3人には共通の「夢」があった。「有人宇宙船に乗りたい」。先進地米国では民間による宇宙ビジネスが盛んだったが、日本では投資額が膨大で民間では無理と言われていた。「自分たちで開発するしかない」。後に「風の谷のナウシカ」に登場する小型飛行機「メーヴェ」製作に挑んでいた八谷、宇宙エンジニアの野田篤司(千葉県)らも加わった。宇宙好きで結ばれた10人ほどの男性たちで、小説「夏のロケット」にちなんだ「なつのロケット団」が誕生した。
「価格を抑えた小型ロケットを作ろう」。目指す方向性は決まったが、まずは資金確保が必要。アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」を作ったガイナックス社と付き合いのあった笹本が、同社でスポンサー探しの話を出すと「堀江さんを紹介しようか?」。
当時、プロ野球球団買収騒動などで、世間の話題を呼んでいた堀江。メンバーで合意後、堀江に持ち掛けてみた。先入観抜きで会うと、堀江の宇宙技術に関する知識と熱意に圧倒された。2006年に「ライブドア事件」で堀江の逮捕勾留もあったが、連絡を取り、士気を保ち続けた。
初期の開発の舞台はあさりの自宅兼仕事場のアパートだった。エンジン性能確認で必要な水流し試験はユニットバスで行い、水浸しになった。3リットル用の計量カップ、窒素ガスボンベやガス圧調整装置…。広く市販されていない材料も多くインターネットで調達した。それぞれ仕事を持つメンバーが集まれるのは1カ月に1回程度。「合宿」と称した集まりには、堀江も姿を見せた。(敬称略)
北海道経済連合会の航空宇宙産業整備推進特別委員会(委員長・増田正二道経連副会長)は2月7~9日、宇宙基地のある鹿児島県の種子島・内之浦を視察した。現地の印象や今後の展開案などについて、増田委員長に話を聞いた。この中で増田委員長は、射場誘致に向け、官民協力した資金づくりの仕組みを構築する考えなどを示した。
国内唯一の射場を持つ優位性を十分に活用しているようには見えなかった。50年前からあってロケットに慣れた感じ。射場を渇望する私たちの思いに比べ、地域全体では淡泊な印象だ。
高度情報化時代の宇宙利用はごく最近。基地や進出用地などの拡張性では地形上、十勝・大樹に大きな利点があり、輸送を含めた交通アクセスも格段に良い。
▽大樹には利点多い
もし十勝・北海道に民間開放型の射場があれば、ベンチャー企業が道内に集積する可能性はあると感じた。
現地の土産物を見ても、宇宙と関係のないものが圧倒的。基地のある町の隣では宇宙の「う」の字も感じない。だがそれでも宇宙の経済効果が全体で167億円。何もせずに、と考えると、潜在力は相当ある。
観光面は可能性が高い。周遊プランや十勝全体での「らしさ」の演出など。鹿児島をある意味で反面教師にしていけばよい。十勝人はいざという時にまとまる力があり、ここはその特性を発揮する時だと思う。
鹿児島はあまり民間の匂いがしなかった。チャンスだと思う。期待するのは先進技術を持ったベンチャー企業の集積と、それが生み出す新たな経済環境。道や十勝全体が余暇の過ごし方も含めた立地環境をPRし、挑戦の精神に富んだ企業に目を向けてもらいたい。
この1年、道経連で宇宙委、地元では期成会ができて、受け入れ側の体制が整ってきた。外部環境も、宇宙2法成立と、政権与党は北海道で宇宙セミナー開催などかなり近寄ってくれた。河村建夫宇宙開発特別委員長は明快に大樹という名を出した。今までなかったことで、発言は重い。山で例えると、入る所の分からない山の登山口が見つかった。今までと全く違う。
道経連では、1年間かけてそれぞれの課題を整理し、具体化する方向で進めようと考えている。それを道庁と道経連と十勝が一緒になって、関係機関とともに進める。それぞれの流れをリンクさせるのが私の大事な役割の1つだ。
▽官民協力の態勢を
今足りないのは活動資金。ビジネスにつなげるには一定程度の資金がないと厳しい。官民協力して資金をつくる仕組みを構築しないと他所に勝てない。あとは人、組織。急いで進める必要がある。競合になる前に「第三の射場は北海道」が共通認識になるよう一生懸命動く。地元の熱意を高め、スピード感を持ってやる。
スペースビジネスの活用先として、十勝で期待の大きい分野は農業だろう。衛星リモートセンシングと呼ばれる技術を使い、人工衛星の画像データを農作物の栽培管理に生かす取り組みは既に実用化されている。
リモートセンシングとは、離れた所から対象物を観測する「遠隔測定」のこと。人工衛星からの電磁波などで地上や海上、大気の現象を直接触れずに調査する。小型ヘリコプターやドローンもあるが、衛星は一度に広範囲を観測できるメリットがある。
「衛星写真の解析結果が、実際の小麦の水分量と当てはまり、高い評価をしてもらっている」。十勝農協連農産課の前塚研二調査役は語る。
衛星画像を基に、小麦の生育が早いか遅いかが分かるマップを作り、収穫に役立てるシステムは、農研機構北海道農業研究センターやJAめむろなどが共同で開発。同JAでは2005年から本格導入した。09年からは農協連が、このシステムを広域化。各JAの意向を聞いて衛星画像を一括購入し、解析後のデータを提供している。昨年は管内の16JAが利用した。
小麦は「適期収穫」が大事で、収穫のタイミングが品質を大きく左右する。広大な畑を適期に刈り取るには、コンバインの稼働率を高めることが欠かせない。システムでは小麦の生育の進度を10段階で色分けして一目で分かる。
前塚さんは「以前は誰の畑を最初に刈り取るかという難しい場面があったと聞くが、今はデータが公平な『物差し』になっている」と語る。3000ヘクタール以上の畑で活用するJAめむろ農業振興課の柴田秀己課長補佐は「GPS(全地球測位システム)でコンバインの位置が分かるので、畑で待機する時間が減り、収穫の稼働率が上がった」とし、収穫期間の短縮や数千万円もする農協所有のコンバインの削減など、コスト減にもつながった。ほ場での確認や水分量調査はもちろん必要だが、遠い宇宙からもたらされる客観的なデータが、収穫から乾燥・調製まで効率的な作業に役立っている。
解析単位は09年が15メートル四方だったのが、現在は6メートル四方まで精度が向上。雲があると撮影できない課題は大きいが、人工衛星が増えたことで十勝の上空を毎日、衛星が位置する環境に。天候不順だった昨年も唯一の晴れ間に撮影できた。
衛星リモートセンシングは、作物の生育状況に応じて肥料の量を変える「可変施肥」などにも活用が広がっている。導入コストなどで現在は一部に限られるが、宇宙ビジネスや農業のICT(情報通信技術)化で拡大するとみられる。
小型ヘリ画像を基に可変施肥システムを実用化しているズコーシャ総合科学研究所(帯広)の丹羽勝久さんは「土壌など、ほ場の状態と画像を関連付けることで、農業分野での利用はさらに進む」と話す。畑の水はけの特徴が分かれば、暗きょ排水設備の効果的な敷設にも役立てられるという。
管内では、GPSを使ったトラクターのガイダンスシステムと自動操舵(そうだ)が徐々に利用され、ロボットトラクターの研究も進む。衛星からの情報が農業インフラとして完全に定着すれば、JA取扱高3000億円内外となっている十勝農業の力は、さらに伸びていくだろう。宇宙利用の進歩が新たな十勝農業を拓(ひら)きつつある。
(第1部・おわり)
「北海道十勝産牛肉のカルビ風焼き肉」「北海道十勝牛のすきやき」-。お湯をかけると、すぐに牛肉やだしの食欲をそそる香りが漂う。1分ほど待ったら完成。素材の味が生かされた、栄養たっぷりのメニューだ。
十勝産食材はすでに宇宙で一部の飛行士たちに愛されている。これらは個人の希望による「ボーナス食」と呼ばれ、NASAの検査に合格した市販の食品を宇宙食用のパッケージに入れて搭載する。
前述のメニューを開発したのはフリーズドライ食品を開発、販売する「極食」(本社札幌市)。これまで42品目が宇宙へ飛び立った。「極限状況下での安全な任務遂行には、おいしい食事で精神を安定させることが大切」。阿部幹雄代表(63)は力を込める。
現在、国際宇宙ステーション(ISS)ではNASAとロシアによって約300食品が供給されている。加えて“故郷の味”日本食を楽しむことで飛行士たちにストレスを和らげてもらおうと、JAXA(宇宙航空研究開発機構)は「宇宙日本食」として30品目を認証。「白飯」や「カレー」のほか、「サバの味噌(みそ)煮」「ようかん」など品目は多岐にわたり、滞在1カ月につき60個ほど選択できる。
阿部代表が宇宙食に取り組むきっかけとなったのは、2007年から3度、技術支援者として参加した「南極観測隊」の活動だった。「セール・ロンダーネ山地地学調査隊」は料理人がいる昭和基地での滞在ではなく、3カ月間のテント生活。阿部代表はここで研究者の食料や装備など安全管理を担当した。
荷物の重量に制限があることからフリーズドライ食品の採用を決めた。だが当時市販品に厚く大きい食材を使った食品や種類がなかったため、自らフリーズドライ食品の開発を始めた。
同食品製造専門の「日本エフディ」(長野)や南極料理人と協力。初年度に32種類、2年目に128種類のおかずを製作した。時折ブリザードが吹き荒れる氷点下30度の極限状況の中、阿部代表は「おいしいものを食べると集中力は高まり、作業も円滑にできる。食の楽しみは大切なこと」と身をもって実感した。
阿部代表の南極での活動はJAXAが08年に注目し、09年野口聡一さんが10品目をISSに持ち込んだのをきっかけに、山崎直子さんらISSで活動する宇宙飛行士に愛される食べ物になった。
11年に宇宙や南極、災害、山で活用する食品を製造する「極食」を立ち上げた。食材は北海道産にこだわった。14年9月には新たな日本宇宙食の採用候補として挙げた33品目のうち、極食からは9品目が選ばれている。
ただ、宇宙食としてビジネスが成り立つためのハードルは高い。
日本宇宙食に採用されるには、食品衛生管理の国際規格「HACCP(ハサップ)」の取得や、減圧検査などの厳しい検査を通過しなければならない。
その検査費用は1品目当たり約100万円(JAXAが半額負担)。だが製造に掛かるコストや設備投資などを考慮すると「JAXAが購入するのは10〜20品程度。一企業で一から作ると設備投資など莫大(ばくだい)。投資コストには見合わない」というのが関係者の見方だ。
宇宙食に認定されるメリットは小さくない。商品そのものに高い安全性が裏付けられる。海外輸出の際に有利になるほか、安全性の高い商品を製造できるレベルの企業として、信頼度も上がる。
もちろん「宇宙食」自体にも宣伝効果が見込まれる。保存性の高さから災害食や介護食としても近年注目を集めるなど、成長可能性の高い分野だ。
十勝管内では、15年に「大樹チーズ&サーモングルメ地域活性化協議会」が、大樹町内に工場を持つ「雪印メグミルク」と、野菜のみそ漬け製造・販売の「たむらや」と共同で「“宇宙のまち”大樹産スペースチーズ」を開発・販売し、将来的に「宇宙日本食」認証を目指している。
遠い宇宙で、宇宙飛行士たちが十勝の食を囲む-。そんな未来は遠くないのかもしれない。
「(船外活動用の)宇宙服は中の空気で風船のように膨らんで、とても動きづらい。動けるよう、アメリカの宇宙服は内側を0・3気圧と、大気中(1気圧)に対して低くしているが、減圧症を避けるための準備が丸1日必要となる」
岐阜医療科学大学(岐阜県関市)の田中邦彦教授(50)は、現状の宇宙服の問題点を指摘する。医師でもある田中教授の専門は生理学で、血圧の調整機能などを研究しており、大学では診療放射線技師を育てている。
2000年に米カリフォルニア大学サンディエゴ校に宇宙医学を学ぶため留学した際、米航空宇宙局(NASA)に協力して宇宙服の検証を担当。技術者中心で開発されている現状に、「人体を知っている医学・生理学の専門家が加わらないと、人が使う“いい宇宙服”はできない」と感じ、帰国後も研究を続けた。
田中教授が目指すのは0・65気圧でも動きやすい宇宙服。これまでの船外活動では、気圧が低い環境に別室で徐々に体を慣らす「予備呼吸」が24時間ほど必要だが、0・65気圧あれば減圧症は起こらないからだ。
研究当初は伸縮性の高い素材を使うことを想定し、体にフィットした全身の完成予想モデルも製作。子どもの頃に見たアニメ「宇宙の騎士テッカマン」にちなんで「ナイトスーツ」と名付け商標登録もした。
ただ、伸縮性のある素材ではうまく動かず、田中教授は「0・65気圧の壁は意外と高い」と実感。現在は間接部に蛇腹とベアリングを組み合わせた方式を採用し、実験を繰り返している。当初の想定とは異なるイメージの宇宙服になるが、田中教授は「間接部はできてきた。各パーツの接続が今後課題となるが、今年中に全身モデルを完成させたい」と意気込む。
完成すれば複雑な作業も素早くこなすことができ、緊急事態などでも予備呼吸なしですぐに船外活動に出られる宇宙服となる。
現在、日本では国として有人宇宙飛行の計画はなく、アメリカのスペースシャトルも退役して有人宇宙開発は停滞している。だがアメリカは現在でも宇宙服開発を続けている。田中教授はアメリカとの共同開発を進める重要性を強調し、「大学の役割として原理の確立を図りたい」とする。
実験は大学の施設の一室を使い、部品などは手作り。昨年新設された大学院の保健医療学研究科長も務め、教育に多忙な中、宇宙医療の学会での発表や論文作成に精力的に取り組む田中教授。原理が確立すれば、宇宙航空研究開発機構(JAXA)や企業などとの共同開発、実用化も視野に入ってくる見込みだ。
「ナイトスーツ」を身に着け、きびきびと船外活動を行う宇宙飛行士の姿を見掛けるのも、そう遠い未来ではない。
「まさにメード・イン・北海道。純粋にこの地で生み出した技術」
NPO法人北海道宇宙科学技術創成センター(HASTIC)の伊藤献一特任理事は、同法人が管理する、初の道産ロケット「CAMUI(カムイ)」の完成を心待ちにする。
カムイは推進剤にポリエチレンと液体酸素を使った「ハイブリッドロケット」。この最大の特徴は「安全で安価」なこと。通常の固体や液体のロケットと違い、燃料にプラスチックを用いる。推進剤に火薬を使わないため、火薬類に必要な保安関係の人や施設の用意が不要で、管理コストを大幅に削減できる。
北海道大学大学院工学研究院(機械宇宙工学部門)の永田晴紀教授(51)が1996年の研究室立ち上げから開発を開始。その後、植松電機(赤平市)が製造を担い、大樹町で実験を重ねる。2002年の初実験以降、これまで実験機として使用したのは55機。推力4・5トンを目標に、最初は50キロから、90キロ、250キロ、500キロ、1・5トンと推力を上げてきた。
いよいよ4・5トンと考えていた時に、別の案件で2段ロケットの実験に関わったことで「上空で火を付ける」方向に転換。1・5トンプラス800キロの2段で高度100キロを目指すことにした。「エンジンの完成度は7、8合目」。永田教授は自信を見せる。
計画では、17年度中に800キロの打ち上げ実証試験を実施。18年度には1・5トンのエンジンに800キロのダミーを付けて飛ばす。それが成功すれば、いよいよ19年度以降に、800キロエンジンを備えた2段ロケットを発射させる。
カムイは日本の輸送系や宇宙工学の未来に光を照らす、とカムイ関係者は考える。通常のロケットと違い、小さくした分だけ打ち上げ費用が安くなることが大きな要因だ。
研究者やビジネス利用を考える企業などが、ロケットを用いた実験環境として求めるのは(1)マッハ3・5〜4のトップスピード(2)100キロの高度(3)空気の薄いところの弾道飛行(無重力環境)。現在、鹿児島県内之浦の発射場から飛ばせるタイプで、S310(外形31センチ)が最も小さい。永田教授によると、ロケット代だけで1億円弱、打ち上げなどプロジェクト全体では数億円。これでは研究費を準備できる所は限られてしまう。
日本の宇宙開発に掛ける予算規模は1800億円内外で、アメリカは数兆円といわれる。同じ数億円の実験でも、日米でその重みはアリと象ほども違う。「宇宙関連の実験は冒険的なものだが、この価格だとおっかなびっくり。失敗が許されない中で良いものは生まれない」
対応するため、全備重量を300キロ前後とし、このうち30〜50キロを実験用に確保する考え。目指すのは1回当たり数百万〜数千万円規模の費用だ。「これなら野心的な研究ができる。良い種は成熟させ、筋の良いものはステージを上げて開発していくようになれば」。そのためにも、カムイの完成が待たれる。
道民や研究者の夢を載せるロケットの名前は、なぜ「カムイ」だったのか。
カムイは「カスケード(縦列)・マルチステージ(多段)・インピジングジェット(衝突噴流)」の頭文字だが「ロケットに神様の名前を付けたかった」。永田教授は明かす。
燃えている音、持続する爆発。これが天に向かって数秒間続く様子に「大魔神を前にしたような、許してくださいとひれ伏したくなるような畏れを抱く。圧倒的な畏れ。これは神様だと思った」。そこで北海道・アイヌに古くから伝わる神「カムイ」の名を冠し「北海道を日本の宇宙開発の拠点に」という望みを込めてかけた。
研究やビジネス目的で、ロケットを使った小規模な実験が、気軽に大樹でできる。滑走路を併せ持つ宇宙基地が、伊藤特任理事や永田教授の描く理想図だ。「その先の、道へ。北海道」。新しい北海道のキャッチコピーが示す未来の進路の1つに、カムイが導く「十勝・大樹から宇宙への道」も刻まれている。
昨年7月、宇宙航空研究開発機構(JAXA)から、小型実証衛星1号機の開発・運用の契約相手として選定された。膨大なコストと期間がかかるため、これまでの宇宙開発事業が官主導で進んできた中、従業員20人ほどのベンチャー企業が単独で受託したというニュースは、大きな話題を呼んだ。「民間ビジネスにつなげようと、スピード感を持って動いた成果」と、アクセルスペースの中村友哉社長(37)は気負いなく語る。
東京・千代田区内のオフィスビルの1フロアが開発の舞台。大学発ベンチャーとして創業10年足らずの同社が開発する超小型衛星は、重量、コスト、製作期間を極限までそぎ落とす。
超小型衛星の打ち上げ機数増加で、衛星製造の低コスト化が進んでいる。内閣府が昨年7月にまとめた報告では、衛星1機あたりの製造費は2012年に180万ドルだったが、15年には80万ドル程度まで下がっている。さらに、同社によると、通常の大型衛星の10〜100分の1のコストで、開発期間も2年間と半減させる。1機の重さは80キロほどで、都内のオフィスで対応できる。
小型・量産化して打ち上げ数を増やすことで、データの鮮度、量を飛躍的に高めるのが狙いだ。広く普及するグーグルマップも、刻々と変化するデータ更新が課題だが、人工衛星を網羅させると、常時世界中の最新データが俯瞰(ふかん)できる。
世界の隅々まで見渡すデータの運用先は多岐にわたる。人が容易に入れない山林での違法伐採を管理し、遠洋航海時の気象情報の収集にも役立つ。農業面では、ほ場ごとに適切な収穫期や水、施肥時期を把握できる。中村社長は「大規模かつ高い技術を持つ十勝の農業は、日本で唯一、データ運用に適した地域と言える。いずれは十勝農業向けのアプリケーションを実現させたい」と力を込める。
「打ち上げがゴールという、いわゆるロケット屋ではない」とも。高精度の膨大な衛星画像から必要データを解析、提供するビジネスモデルを構想する。設計段階からユーザー側と協議して機能や目的を絞り込み、取得したデータを活用した課題解決までを導く。いわば「オーダーメード衛星」を通じた、「宇宙ソリューションプロバイダー」が、同社が掲げる姿だ。
「鳥の目」を超える「宇宙からの目」の詳細なデータは農林漁業の他、気象、プラントなど資源の監視といった幅広い需要が見込める。常時最新のビッグデータを送られるユーザー側にとっても、独自の分析で新たなサービス開発も描ける。インフラがある程度成熟した国内ではなく、未発達の海外需要も見込んでいる。
同社はベンチャーキャピタルなどから総額19億円の資金調達を取り付け、2020年までに10機、22年までに50機を打ち上げる計画を進めている。同社によると、50機を打ち上げれば、全陸地の45%を網羅できるという。1機目は今年末に打ち上げる予定で、「順調に進んでいる」と手応えを語る。
18日に帯広市内のとかちプラザで開かれる「北海道航空宇宙セミナー」で、自ら講師として可能性を説く。「衛星画像を活用した適正栽培で、よりおいしい農作物を口にすることができる-と考えれば、宇宙が身近になる。宇宙は地上と同様に、ビジネスに生かせるフィールドになりつつある」と語る。
「手の届かないところに、エンジニアとして引かれた」宇宙が、日々身近になっていることを、自らの口で伝える考えだ。
「私たちが目指すのは宇宙旅行だけでなく、物資も含めた総合的な輸送事業」
宇宙ベンチャー企業PDエアロスペース(名古屋市)の緒川修治社長(46)はこう強調する。昨年、大樹でも無人機実験を行った同社。宇宙用ロケットエンジンと、大気圏内用ジェットエンジンを切り替えられる独自のアイデアで、何度も再使用が可能な有人宇宙機の開発を目指している。
人工衛星のように周回軌道に投入するのではなく、地上のある地点から打ち上げ、高度100キロメートル以上に出た後、大気圏に再突入して目的地点に着陸すること(弾道飛行)で、人やモノの超高速輸送を可能にする構想だ。商業運航開始は、2023年を目標とする。
同社は国内で唯一の民間主導による有人宇宙機の開発会社。宇宙旅行の顧客は富裕層に限られるため、国による開発は難しく、「民間が適している」(緒川社長)という。
緒川社長はもともと、民間企業で戦闘機開発に携わり、その後、宇宙飛行士を目指し、東北大学大学院で航空宇宙工学を学んだ。スペースシャトル事故(03年)の影響で飛行士の夢は断念したが、04年の米国での民間有人宇宙飛行の成功に触発され、07年に自ら起業した。
現在の事務所は住宅地にある広さ10畳ほどのプレハブで、隣接する実験施設での部品加工などは手作業。完成しているのは、長さ1メートル強の実験用ロケットエンジンで、今後本格的な施設でジェット機能追加、ロケットとジェットの切り替え試験を行っていく。
企業としての収益は現在ほとんどないため、スポンサーからの資金、他社への技術顧問料、昨年から始めた宇宙飛行士訓練の体験プログラムの収入などで運営する。社員は3人。他企業に勤めながら宇宙開発を志すボランティアや、学生のインターン(研修生)など、外部人材が協力する。
昨年10月、同社は旅行会社大手エイチ・アイ・エス(東京)、ANAホールディングス(東京)と資本提携。エイチ・アイ・エスが3000万円、ANAHDが2040万円を出資し、資金面の課題が大幅に改善された。緒川社長は現状を「登山で言えば1合目にも達していない。まだ計画全体でなく、スタートラインまでの支援と考えているが、ようやく道筋が見えた」と捉える。
今月末には航空宇宙関連の部品加工に実績がある愛知県内の企業サワテツの協力も得て、同社内に実験施設を移転する。「企業の支援者も増え、モノ(物資)、カネ(資金)はようやくそろってきた。課題は人(人材)だが、弁護士、医師など文系、理系それぞれの得意分野でさまざまな方に協力いただいている」(緒川社長)と手応えを感じている。緒に就いたばかりの国産有人宇宙機は、夢を追う人や企業の協力で、推進力を得つつある。
同社は他企業とも連携し、沖縄県の下地島空港を宇宙港として整備する提案を県にしたことも。計画は不採用だったが、緒川社長は「大樹の滑走路(1000メートル)は下地島の3000メートルに比べると実験には足りない。ただ今後、もし宇宙港として整備されれば大樹から打ち上げたい」と話している。
月面に降り立ち、クレーターや岩石を避けながら500メートル以上走行し、高画質撮影データを地球に送信する-。米グーグル社がスポンサーとなって2017年に開催予定の月面探査レース「Google Lunar XPRIZE(グーグル・ルナ・エックスプライズ)」のミッションだ。賞金総額は約30億円。この壮大なレースに日本から、民間発の月面探査チーム「HAKUTO(ハクト)」が挑戦する。
「月に降り立つことができれば、世界に負けない自信を持っている」。HAKUTOを運営する宇宙ベンチャー企業「ispace(アイスペース)」(東京、袴田武史代表)のCTO最高技術責任者で、月面探査車(探査ローバー)の開発全般を担う東北大学大学院工学研究科の吉田和哉教授(56)=航空宇宙工学=は笑顔で語る。
(1)ロケット打ち上げ(2)月面着陸(3)月面探査-の3ミッションからなるレースで、(1)(2)はインドのチームに相乗りし、(3)に専念する。探査車は11年にプロトタイプ(試作)を発表し、15年には研究の進展が評価されて同レースの中間賞を受賞。KDDIなど国内企業も支援。アメリカやイスラエルなど5チームほど参加する中、堂々の優勝候補だ。
長年、月や惑星探査ロボットを研究し、小惑星探査機「はやぶさ」の開発にも参加した吉田教授が「ほぼ完成の域」と自信を示すフライトモデルは、全長約60センチ、重量約4キロの四輪車。ロケット構造体にも使われる炭素繊維強化プラスチック(CFRP)製ボディーに、360度カメラや通信システムを搭載する。
「苦労したのが重量。NASAの火星探査ローバーは900キロなどと大型化する中、小型・軽量を追求した」。理由の1つが「1キロ=1億円」という打ち上げ費用。必要な走行性能は維持したまま、素材の軽量化や設計見直しで、当初の想定重量10キロを半分以下に削減。「世界が驚く軽量ローバー」を実現した。
月面探査の技術的ハードルは高い。1つは、昼は100度以上、夜はマイナス150度以下という過酷な温度環境。軽量ゆえに熱に弱いデメリットを克服し、熱を放出して100度に耐える構造を作った上で、4週間で1自転する月の“早朝”の時間帯に着陸し、「100度になる前に決着する」作戦を練る。
このほか、砂丘のような地面をしっかり捉える歯車状の車輪、タイムラグが約5秒も生じる距離38万キロの遠隔操作など、長年の研究成果が小さな車体に詰まっている。ロケット打ち上げ予定は今年12月。民間による大きな挑戦まで1年を切っている。
「XPRIZEははじめの一歩にすぎない」。ispace社はレースの先を見据える。「月面の資源探査を、ビジネスとして考えている。月は将来、国際協調で宇宙飛行士が常駐する方向性。そこで、水と酸素のサプライチェーン(原料調達から製造、販売まで)を担える会社にしたい」
目指すのは、水と酸素の現地製造。大気のない月面だが、マイナス180度に保たれた極地方には土中に氷がある可能性がある。そこを真っ先に訪れ、ローバーで探査することが一番の目標だ。昨年12月にはJAXA(宇宙航空研究開発機構)と月資源開発の構想に関する覚書を締結した。ビジネス競争はすでに、レース前から始まっている。
かつて国家プロジェクトだった宇宙開発は今、ベンチャーを中心に民間参加が加速する。
その舞台の1つが月。米国の宇宙開発企業アストロボティック・テクノロジー社は「月面の宅配会社」を目指す。レース参加の各チームも将来のビジネスを展望する。
「宇宙ビジネスの参加者が増え、宇宙開発の規模自体が拡大している」。吉田教授は民間参加のメリットを語る。最も活発なのが小型衛星分野で、50センチ立方程度なら民間や大学でも数億円で開発できる。「コストが安く、開発期間も短いのでタイムリーな観測、技術実証ができる。衛星ビジネスはもう完全に民間主導になっている」
さらに今回のHAKUTOプロジェクトでは、一般のビジネスマンなど宇宙関係の仕事でない人々も、各自のスキルを生かしたボランティアとして参加している。吉田教授は語る。「多くの人は宇宙と自分は関係ないと思っている。この挑戦の大事なメッセージは、興味を持てば誰でも宇宙開発に関わるチャンスがある時代だということだ」
国が宇宙基本計画を策定し、大樹町や十勝では期待を持って受け止められている「射場の在り方に関する検討」。だが、このような動きに種子島宇宙センターがある“ロケットの町”鹿児島県南種子(みなみたね)町は不安を抱く。
町企画課の河口恵一朗課長は「種子島宇宙センターがいつまであるかは分からない」と口にする。話題に出たのは、大樹町でも実験を行ったことがある名古屋市の宇宙機開発会社「PDエアロスペース」と大手旅行会社エイチ・アイ・エス(東京)、ANAホールディングスの資本提携だ。
PDエアロスペースが開発するのは、滑走路から飛び立つ飛行機のような機体。2023年の宇宙旅行・輸送の商業運航を目指している。滑走路のない種子島の宇宙センターからは飛び立てない。町の経済を支える打ち上げ回数をどう維持するかを考えているところに、対応不可能な機体の話。発射場としての優位性が保てなくなることへの危機感は強い。
打ち上げ回数維持には、周辺環境を含めた設備面への不安も垣間見える。
種子島に宇宙センターが立地して50年近くたつ。ロケットや人工衛星を工場から輸送するときは船で島に運ぶが、船は宇宙センターがある島の東側ではなく、反対の西側の島間港に着岸。そこで陸に揚げ、島間港から宇宙センターまで30キロの距離を4、5時間かけて慎重に運ぶ。東側は遠浅の海で、船が入れないという地形上の問題があるためだ。
また、種子島空港は小さいので、海外からの衛星は一度国内の別の空港に下ろしてから、船で輸送せざるを得ない。そのコストなどから、海外からの受注が伸びていない、との指摘も受けている。
町としては、センターに港と滑走路が欲しいものの、自治体単独では手を出せない分野。国には種子島空港の滑走路延長も要望しているが、国は「貨物だけのために伸ばせない」と厳しい返答だという。宇宙開発は国策で進めているが、センターを持つ地域の要望であっても簡単には実現せず、宇宙関連施設誘致の難しさを感じた。
宇宙以外の主要産業である、農業の育成の必要性も、同町では感じている。特産は蜜がしたたり落ちるほどの甘みがあるサツマイモ「安納イモ」。そのほか、サトウキビ、でんぷん用サツマイモ、コメ、和牛を生産しているが、畑は丘陵地帯の中の使える土地を開墾した印象で、経営規模は5ヘクタール以下が8割近く。十勝が平均40ヘクタールほどであることと比べ、小規模感は否めない。
農業生産額も28億9618万円(2014年度)と十勝の100分の1。「換金できる農業を目指さなくてはいけない」。宇宙センター関連の依存度が大きい町の、切実な将来への不安とともに、耕地面積が限られた島の中で、反収(10アール当たり収量)増を目指さなくてはならないという思いも強く感じられた。
大樹町が進める宇宙のまちづくりは、南種子町でも知られていた。冗談めかした口調だったが、河口課長の「北海道は農業がしっかりしているじゃない。宇宙基地まであったらぜいたくだよ」という言葉が強く印象に残った。
H2Bロケット6号機の打ち上げ当日(昨年12月9日)の昼ごろ、発射場を一望できる鹿児島県南種子(みなみたね)町の長谷公園にはすでに観光客が集まっていた。シートで場所を確保し、カメラを三脚にセットしている。
長谷公園は打ち上げ時、町内4カ所に用意される見学場の1つ。発射場からの距離は7キロほどと、立ち入り禁止の3キロ以内からは少し遠いが、高台になっており、青い海を背景に飛び立つロケットを見ることができる。会場では打ち上げカウントダウンの音声が流れ、コンビニや飲食店が屋台を出す。
「小さい時から宇宙が好きで、一生に1回は打ち上げを見たかった」。東京都の会社員熊野貴文さん(37)は妻の香織さん(29)、大学の友人で神奈川県の会社員小林義広さん(38)と訪れた。
種子島に来たのは2回目だが、前回は打ち上げ直前で延期に。1週間ほど粘ったが、仕事のため諦めて東京に戻った。「今回はリベンジ。10日休みを取っている。給料もこのためにためた」
「大学時代に開発に関わった機器が載っているんです」。茨城県の会社員馬場宗明さん(30)は、九州大学に在学中、宇宙で使う機器の新たな冷却システムの開発を行った。それがいよいよ宇宙に飛び立つ。「無事に上がってほしい」と願った。
町によると、1回の打ち上げで4カ所の見学場には合わせて4000人前後が訪れる。これが休日ともなると6000人と、町の人口を上回る。見学場以外で見ている人も含めると1万人になると推測する。「盆や正月より混みます」。打ち上げ時はどこのホテルも満室になるという。
ただ、これ以上観光客を増やす場合、障害となるのが、宿泊施設の受け入れ能力と、種子島への輸送能力の低さだ。
宿泊施設の受け入れ能力は種子島全体で2000人で、同町ではその半分の1000人。だが、見学者数に対し全く足りていない。前出の馬場さんも「3カ月前から電話をかけまくってやっと確保できた」。観光客が訪れる土地の割にホテルは古く、民宿や旅館が多い印象を受けた。
ロケットの打ち上げ数は多くても年間2〜5機程度。町の経済への影響を考えると「毎日上げてほしい」という声も出るが、打ち上げの間隔は40〜50日程度必要で、最大でも年間8機。種子島全体で年間の来島者数が27万〜28万人。このうち観光客は5万4000〜5万6000人と2割ほどで、ほぼロケット目当て。打ち上げがないときは観光客が少ないため、民間事業者はホテル建設の投資に踏み込めない状況だ。
種子島への移動の不便さも、観光客の増加にブレーキをかける。鹿児島-種子島間は飛行機と高速船の移動手段があるものの、飛行機は数十人乗りの小型プロペラ機で、船と合わせても1日1600人程度しか輸送できない。東京からの直通便はなく、鹿児島空港からの乗り継ぎとなるため、運賃が高くなることも伸び悩む要因とみている。
町は東京からの格安航空会社(LCC)の誘致や、打ち上げ関係者から要望の強い名古屋からの直通便誘致を図ろうと取り組んでいるが、利用の極端な増減がネック。河口恵一朗町企画課長は「種子島にはインバウンド(訪日外国人旅行者)を増やしたい」とし、中国の航空便誘致に力を入れる。種子島はマングローブの北限で、全島がサーフィンのスポット。美しいロケーションをPRして通年での観光客確保を狙う。
ただ、種子島3市町は連携に不安を抱える。南種子町に対して「黙っててもロケットでお金が入る」とうらやむ見方もあり、河口課長は「ベクトルの一致が難しい。連携が強まるとPRの広がりも出てくるのだが」と歯がゆさを漏らした。
国内最大のロケット発射場「種子島宇宙センター」がある鹿児島県南種子(みなみたね)町を昨年12月、H2Bロケット6号機、無人補給機「こうのとり」6号機打ち上げの取材で訪れた。宇宙が経済のみならず教育など広い分野で島を支える「ロケット城下町」を歩いた。
鹿児島空港から種子島空港までは、小さなプロペラ機で30分。空港からは車で30〜40分走ると南種子町に着く。緑豊かな島だが、丘陵地帯でアップダウンが激しく、町中の道幅は狭い。限られた土地を開発したためか、都会のように建物が窮屈に立ち並んだ印象を受ける。
道中、目につくのは地元団体による「打ち上げ成功祈願」ののぼり。小川に架かる橋の欄干はロケットを模しており、ホテルや飲食店に入ると、これまでに成功したH2A、H2Bロケットの打ち上げ写真が並ぶ。まち全体が宇宙であふれている。
「ロケットがなくなったらこの町は倒産です」
南種子町企画課の河口恵一朗課長は言う。宇宙センターで働く人や、その家族の普段の買い物のほか、観光客の宿泊、飲食、地元雇用などを含めた種子島全体への年間の経済効果は、120億円に上る。
同町の人口は5774人。ちょうど航空宇宙産業基地誘致を目指す十勝の大樹町と似たような規模だ。しかし、そのうち2割弱が宇宙関係者。宇宙センターには、宇宙航空研究開発機構(JAXA)のほか、ロケットや人工衛星の打ち上げに直接関わる企業、センターの清掃など維持管理に関わる企業の職員が常時400人働いている。その家族も入れると町に住むのは1000人以上になる。
地元でロケットや人工衛星を開発する企業はないものの、ロケットの燃料となる液体水素の輸送事業に取り組む事業者が出るなど、仕事も生まれている。宇宙関連産業は裾野が広いといわれる。人が動くことで、そのほかの産業にも恩恵が広がっている。
町内唯一のコンビニ。人や車がひっきりなしに出入りする。通常の品ぞろえのほかに、パン屋のようなコーナーもあり、宇宙関係の土産やグッズもそろっている。地元住民が日用品を購入する姿以外に、打ち上げ間近だからだろうか、住民と同じくらいの割合で三菱重工業や川崎重工業の作業着姿の人が弁当などを買い込んでいる。町民に聞くと「全国で一番もうかっている(コンビニ)と聞きますよ」と教えてくれた。
税収面でも影響は大きい。同町に住む人が納める税以外にも、町の2014年度の固定資産税5億円弱のうち、半分は宇宙センターの土地と施設によるものだ。
打ち上げを見ようと島外から訪れる観光客は年間5万人ほど。これに対応するため、宇宙センターが立地してから飲食店は4倍の約40店、ホテルは倍の約20件に増えた。
経済効果以外に、宇宙は教育の分野でも活用されている。町では島外の小学生を1年間、町内の学校で受け入れる「宇宙留学制度」を設けている。20年続く取り組みで、ロケットの打ち上げを身近に感じ、種子島の自然を体験することで子どもたちの人間性を育てるものだ。
年40人ほどを受け入れるが、人気があり競争率は3倍にもなる。河口課長は「地元の高校に入るより難しい。参加した子どもの親からは『子どもが見違えるように変わった』と喜んでもらえる。その後感謝の思いで町に多額の寄付もしてもらえる」という。
宇宙センターが立地するといっても、同町も人口減少の波が押し寄せており、子どもの数が少ない。留学制度で人数を確保し、2つ以上の学年が同じ学級となる「複式学級」の解消に役立てている。
種子島に宇宙センターが設置されて50年近くたち、影響は産業にとどまらず教育分野にも広がっていた。「宇宙がないと倒産」との言葉は冗談ではなく、町の行く末が宇宙次第であることをうかがわせた。
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ロケットに旅行、服、食べ物…。宇宙に関連する産業が、国内で多方面に拡大している。年間キャンペーン第1部では「スペースビジネスの今」と題して、現在宇宙基地のある種子島ルポから“射場”の経済効果や課題を浮き彫りにする。さらに国内で動く宇宙関連ビジネスの現状をリポート、十勝での可能性を考える。
ジュースの缶、お酒、鉛筆、ろうそく、プラスチックでできるものは何でしょう? 正解はロケット。年内にも国内の民間企業単独では初となる宇宙への打ち上げを目指して開発を進めるインターステラテクノロジズ(本社大樹町)のロケット「モモ」の材料だ。私たちの生活にも身近なものを多く使って、低コストで作り上げる同社のロケットを徹底解剖した。
「H2A」や「H2B」などの日本の大型ロケットは1回の打ち上げで100億円以上掛かると言われる。これを数億円から数千万円まで下げることで、誰もが宇宙に行ける世の中を目指す。
そのため、製造するには世の中に出回っている安価なものを使っている。同社の稲川貴大社長は「国のロケットがフェラーリなら、目指しているのは宇宙に向かう軽自動車」という。
ロケットの低コスト化は世界でも進んでいる。アメリカでは一度使ったロケットを再び地上に着陸させ、再利用することで費用抑制を目指す企業もあるが、稲川社長は「再利用より使い捨ての方がコストを下げられる」と話す。部品点数を少なく、量産に向く設計にすることで、大量製造してコストを劇的に下げる考えだ。
全長 | 9.9m |
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重量 | 1トン(燃料を除くと300kg) |
直径 | 50.2cm |
推力 | 1.2kN(キロニュートン)重さ1.2トンのものを持ち上げ続けられる |
最高到達高度 | 120km |
微力重力(無重力)状態 | 約240秒間 |
■関連リンク インターステラテクノロジズ
昨年12月にH2Bロケット6号機、国際宇宙ステーションへの無人補給機「こうのとり」6号機の打ち上げの取材で、鹿児島県南種子町の種子島宇宙センターを訪れた。国内最大のロケット発射場があることで知られるが、打ち上げがなければ出入り自由で、施設案内ツアーに参加すればロケットの実物や、打ち上げ責任者が集まる総合指令棟などを見学できる。センター内の施設を写真で紹介する。
九州の南に浮かぶ種子島の南端にある南種子町中心部から車で10分弱、丘陵地帯の曲がりくねった道の先にセンターが現れる。センターは島の東南端にあり、面積は970万平方メートル。種子島の面積の2%を占め、東京ディズニーランド20個が入るという。
広いと思われがちだが、ケネディ宇宙センターは種子島1個、ギアナ宇宙センターは種子島2個分が入る。種子島は小さい施設だが、コバルトブルーの海、白い砂浜、緑の山々に囲まれ「世界一美しい発射場」と呼ばれている。
ロケット発射場はセンター内でも東端の岬に位置する。H2A用とH2B用の2つの射点とロケットの組立棟があり、発射場全体で約17万6000平方メートル。東京ドーム4個分が入る面積だ。組立棟は27階建てのビルに相当する高さ81メートルあり、ロケットを射点に移す際は棟の一面の壁がスライドして開く。この扉は世界最大の引き戸としてギネスに認定されたこともあるという。
発射場から約2キロにある大崎第一事務所には、打ち上げがかなわなかったH2ロケット7号機が展示されている。1段目は全長31メートル、2段目で8メートルと巨大。現在のH2A、H2Bと同様、機体がオレンジ色に見えているのは、燃料が蒸発しないように覆っている断熱材の色だという。1000度にも耐えることができる素材を用いている。
発射場から3キロの総合指令棟では、各現場からの情報を集め、打ち上げ実行などを決める。普段、人はいないが、打ち上げ直前ということもあり、今回は画面を見詰める作業員の姿を見ることができた。
■関連リンク JAXA 種子島宇宙センター