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動物園のあるまちプロジェクト

Vol.5

「園の下の力持ち」〈全3回〉

第3回「閉園から復活 市民と共につくる到津の森公園」

 九州北東部、福岡県北九州市の「到津の森公園」。一度は閉園したものの市民の熱意によって蘇り、市民自ら立ち上げたボランティアは100人以上が活躍する。市民の協力を受けながらの運営が全国の動物園から注目を浴びる、まちと共に歩む“二人三脚”の動物園だ。


 到津の森公園は1932年、九州電気軌道(現・西日本鉄道)が「到津遊園」として開園した。経営悪化で2000年に閉園したが、北九州市民から存続を求める声が沸き、2週間後には「北九州市に動物園を残す会」が発足。北九州市の全町内会などが賛同し、市民の4分の1にあたる26万筆の署名が集まった。思いを受けた市が運営を引き継ぎ、2年後に再び開園した。

 再出発後、市民の思いはボランティア団体「森の仲間たち」として園を支える。活動は「飼育」「動物ガイド」など6班に分かれ、10代から90代まで107人が参加。井上裕文会長(68)は「自分たちがやりたいことを、やれる範囲で楽しくやっている」と話す。

 飼育グループの東和代さん(61)、平林真美さん(24)は週1、2回、動物のエサの準備に汗を流す。鳥類用のリンゴやオレンジ、キャベツなどを飼育員の指示に従って切り分ける。作業は午前中の1時間程度。2人は「切ったものを食べてくれるのがうれしい。作業が終わった後に園内を少し回ったりするのも楽しみのひとつ」と笑い、慣れた手つきで作業を進めた。



 市民の力を借りて復活した同園は、同じく廃園の危機を乗り越えた旭山動物園(旭川市)と並んで「北の旭山、南の到津」と動物園関係者らから称される。

 木々の緑が豊かな園内には、約100種500点を飼育。約80年間続く小学生対象の「林間学園」は夏休みの5日間動物園に通い、動物について学び、絵を描くなどのプログラムを行う。こうした独創的な「学園」は、日本でも類のない生きた教育として評価され、7万人もの卒業生を送り出している。

 ボランティアに属さない市民も動物園を後押しできる「動物サポーター」も盛んだ。個人や企業が動物の里親としてえさ代を寄付できる仕組みで、昨年度は800個人・団体が手助けした。年間約2000万円ものエサ代の大半が市民によって賄われている。

 自治体運営の動物園は年間億単位の公金で維持しているところが多い中、同園は再開園後、市民の寄付もあり黒字化に成功した。



 発足から15年を迎えた「森の仲間たち」は、その功績をたたえられ、2011年度には「地域づくり総務大臣表彰」を受賞。現在も全国の動物園ボランティア組織から注目を浴びる存在になった。

 初期からのメンバー約20人も活躍するが、徐々に高齢化も進む。井上会長は「時代が変わると参加する人も変わる。設立時の会員のやり方や考え方が全てではないとしても、熱意だけは継承していかなければ」と井上さんは言葉を強め、思いの継承を課題とする。

 そんな「森の仲間たち」の存在を、閉園当時から園長を務める岩野俊郎(69)さんは「ボランティアさんは楽しみながら、生きがいにしている人も居る。そうした助け合いの文化性がここにある」とし、北九州ならではの地域性も大きいと話す。その上で「市民やボランティアに園の思いを伝え、共感してもらう。そうした思いを共有する場に」と、園と市民が思いを話し合う必要性をあげる。



 21世紀に入ってから閉園に追い込まれた動物園は少なくない。大都市圏にほど近く、交通の便もいい宝塚動植物園(兵庫県)、甲子園動物園(同)も歴史を閉じた。閉園により最も被害を受けたのは動物であり、多くの子どもたちが悲しんだ。

 当時の到津遊園の閉園の危機は、「市民の間で話題になっていた。大きなニュースだった」と井上会長は話す。到津の森公園は 市民が「みる」だけから「一緒につくる」動物園になった。一度はなくなりかけたが、市民の力で取り戻した同園の未来を、これからも園と市民が共に作り上げていく。




第2回「ふれあいの架け橋に」

おびひろ動物園(柚原和敏園長)は、2つのボランティア団体が運営に携わっている。帯広畜産大学の学生サークル「ZooFul(ズーフル)」と、おびひろ動物園協会(菅雅史代表)だ。動物の魅力を伝えるとともに、動物と人とをつなぐ架け橋の役割を担っている。


 「怖がらなくて大丈夫。優しく触ってあげると喜ぶよ」―。ヤギやモルモットと触れ合える「ふれあい動物園」は週末、多くの親子連れらでにぎわう。ズーフルは、訪れる子どもたちが安心して触れるよう支援するボランティアを行っている。

 活動は週末、午前と午後に会員が数人ずつモルモットとヤギを担当する。子どもたちには、個体の性格などの豆知識を教えることも。缶バッジ作りや顔はめパネルの作成、夜間開園でのツアーなど、楽しく動物のことを学べる園内イベントも企画する。

 代表の吾田佳穂さん(畜産科学課程3年)は1年生の時に入会。生まれ育った日高管内えりも町は動物園がなく、小学6年の時に参加したおびひろ動物園の「飼育員体験」がきっかけで、「将来は動物に関わる仕事がしたい」と志した。

 普段は畜産動物を学ぶ中、動物園は新たな知識や体験が得られる場所。知識は自ら学んだり、飼育展示係から得たりすることが多く、子どもにも分かりやすく伝わるよう心がける。

 「知らないで見るより、知った上でみると見方が変わる。私も大学の実習を通じて感じたこともがあるので、そうした体験をしてもらいたい」と話し、来園者の喜ぶ表情を糧に活動に励んでいる。



 おびひろ動物園協会は、来園者の記念撮影をしたり、トイレを案内したりするなどの活動を行っている。

 同協会は1978年に設立したが、運営の中心人物の逝去などで年に活動を休止。動物園を人と財政の両面でサポートしようと、2007年に帯広畜産大学の山田純三名誉教授によって再スタートした。

 現在は市民ら約45人で構成し、蛍光グリーンの帽子とジャケットが目印。動物園の元職員も在籍し、06〜08年度に園長を務めた大西正典さん(69)も退職後に入会した。

 来園者に動物の知識などを伝えることはなく、あくまでも来園者の案内や記念写真の撮影などにとどめる。大西さんは「私たちの役割は来園者に居心地の良さを提供すること」と話す。

 園長時代にトレードマークだった赤い帽子から、蛍光グリーンの帽子と服に着替え、現在も動物園の歩みを見守る。「先人達の思いを受け継ぎ、まちづくりの重さを感じると共に動物園に携わっていきたい」と話している。




第1回「長生きして願い形に」

 動物園を支えるのは飼育展示係や獣医師だけではない。足を運ぶ来園者一人ひとりが動物たちのサポーターだ。おびひろ動物園(柚原和敏園長)にも、こどもたちやファンから動物の誕生日には手紙やごちそう、体調が悪い時には心配する声や折り鶴が届くことも。そんな“あしながさん”や来園者の思いを受け、動物たちは日々を送っている。


 「ゾウのナナ、いつまでも長生きしてね」「猛暑の中、夏バテしていませんか」―。おびひろ動物園には、これまで来園者から贈られた手紙を収蔵している。手紙の内容は暑中見舞いや動物の健康を気遣うものまでさまざま。十勝管外からの贈り主も多く、中には同園で2015年まで過ごしたホッキョクグマ「イコロ」(現在は東京都恩賜上野動物園)の最近の様子を伝える手紙もあった。

 昨年5月にカバの「ダイ」が体調を崩した時には、たくさんの手紙のほかに子どもたちが描いた絵が届いた。ダイが息をひきとった後に設けられた献花台には花が絶えず、思い出が詰まったアルバムも手向けられた。空になった獣舎を見つめながら、来園者は思い思いに別れを告げていた。

 手紙のほか、動物のエサの差し入れもある。同園によると、主に果物や野菜、肉などで、来園者が直接持ってきたり、小包で届けられたりする。その日が誕生日の動物にあてたものが多いという。動物たちに少しでも喜んでもらいたい、力になれれば―。その思いがおびひろ動物園を支える原動力だ。



 帯広市内に住む置塩信行さん(52)、若菜さん(59)夫妻は、12年以上にわたり同園へのエサの差し入れを続けている。

 2人は2005年に石川県から帯広へ移住し、同園は週末の散歩コースだった。徐々に動物たちに親しみを持つようになり、力になれば、と始めた。

 食べ物はスーパーなどで購入し、バナナやリンゴ、季節の野菜などが多い。宛先は主にゾウとヤギで、ほかの動物も誕生日などに合わせて差し入れる。主に週末に足を運び、転勤で帯広を3年間離れた際にもバスで足を運んだり、郵送で食べ物を送った。

 長年にわたって足を運び、動物たちとは“顔見知り”。置塩さん夫妻が近付くとゾウ「ナナ」が寄ってきたり、声かけに鼻を動かしたり仕草で応える。

 12年間にわたって動物園に通い、動物園が生活の一部になった。2人は「毎回新しい発見がある。ナナも日に日に年をとるし、レスポンスも違う」とし、「私たちにとってはなくてはならない、疲れたときにほっとする場所」と優しく動物たちを見守っている。

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